『戦う大名行列』web版 目次
はじめに
【序章】軍隊行進だった大名行列
【第1章】領主別編成と兵科別編成
【第2章】中世初期の兵科別編成
【第3章】村上義清から生まれた戦列 ☜最新回
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新しい兵科別編成の誕⽣
  ・軍事改⾰の陰に悲劇あり
  ・真⽥⼀族からの報復
  ・罠にかかった信濃の野心家
  ・絶望から起ち上がる村上義清
  ・武⽥信⽞の軍隊創出
  ・ゼロから再起した村上義清
  ・信州上⽥原の合戦
  ・義清の勝算
  ・戦場における総⼤将の暗殺
  ・義清の兵科別編成
  ・上⽥原合戦における信⽞負傷
  ・上⽥原合戦の戦果
  ・亡命する義清、引き受ける謙信

新しい兵科別編成の誕⽣

村上義清の居城・塩田城跡

 かつて拙著(乃⾄2016)において、村上義清から⽣まれたあたらしい⽤兵思想の登場を紹介したが、ここでは信濃の⼀領主に過ぎない義清がなぜそれまでの常識を打ち破り、独⾃の軍隊編成が可能になったのかを詳述していきたい。

 義清以後、兵科別編成は甲信越から東国全⼟へ広がり、やがて畿内近国を⽀配する織豊政権の軍制に採⽤されていくが、それが初めてあらわれるのは、いくつもの偶然が重なってのことだった。

軍事改⾰の陰に悲劇あり

 ここまでみてきたように、武⼠の武⼒編成は私兵の集団が寄り集まったものが主流で、それぞれが⾃分の⼿下を率いて、盟主たる⼤将のもとにあらわれ、めいめいが⾃分の⼿下と⼀緒に戦うのが常態だった。

 こうした伝統を覆し、まったく新しい軍隊編成を戦場に突⼊したのが村上義清である。...