『戦う大名行列』web版 目次
はじめに
【序章】軍隊行進だった大名行列
【第1章】領主別編成と兵科別編成
【第2章】中世初期の兵科別編成
【第3章】村上義清から生まれた戦列
【第4章】京都を訪ねた兵杖行列── 越後の隊列 ☜最新回
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京都にあらわれた謙信の行列
  ・二度の上洛
  ・舞い上がる近衛前久
  ・実用の軍隊による兵仗行列
  ・「密事」の理由
  ・関東武者が見たこともない越軍の異容
  ・謙信の逆鱗に触れた地侍
  ・撤退を決意する氏康
  ・小田原攻囲と鎌倉帰陣

京都にあらわれた謙信の行列

上杉謙信像

 謙信は正戦思想を信奉する武将で、私利私欲の侵略戦争を好まなかった。

 しかし周囲を見渡すと私的な動機による武力衝突が日常的に行われている。

 これに対処する力量を見込まれ、兄から越後の統治権を譲られた謙信は、否が応でも戦陣に赴かなくてはならない。

 そこで自分の戦争に正当性があることを強調しようと考えて、京都へ赴いた。
朝廷と幕府から、越後統治の正当性と、対外戦争の正当性を公認してもらいに出向いたのである。

二度の上洛

 謙信の上洛は、天文22年(1553)と永禄2年(1559)の二回に渡り、挙行された。

 2度とも越後の軍勢を連れたが、道中の大渡挙行れ度越後の軍勢連れが道の大名たちは自ら道を開けている。...