ドラマのワンシーンみたいに真っ暗なピッチを走り続けたことがある。異国の地・ドイツ、練習終わり、誰もいない練習場......、電気が消えるなか、白線の上を淡々と走った。

30分くらいだったかな。雨が降っていて、僕は泣いていた、実は。

ね、なんかカッコ良くない(笑)?

この話、テレビ番組の『情熱大陸』でもしたから、知っている人も多いかもしれない。鹿島アントラーズからシャルケ04に移籍して2年目を迎えた僕は、試合に出られないでいた。2012年のことだ。

1年目はほとんどすべての試合に出て、チャンピオンズリーグにも出場できた。ベスト4という快挙(自分で言うなって言われそうだけど、本当にこれはすごいことなのよ、マジで)まで経験させてもらった。おまけといっちゃ失礼なんだけど、ブンデスリーガ公式HP(英語版)のユーザー投票で年間ベスト11にも選ばれた。

それが2年目を迎え、まるで反転したような状況に陥った。

要因は「監督交代とケガ」。それが一般的な見方だったと思う。

監督は、1年目から起用してくれた(フェリックス・)マガトがその年の3月に解任されると残りのシーズンを(ラルフ・)ラングニックが務めた。チャンピオンズリーグベスト4をともに戦ったのも彼だ。2年目もチームを率いるはずだったんだけど、重圧があったのかバーンアウト(燃えつき)症候群にかかってしまって9月末に退任した。やってきたのは、ステファン(フーブ・ステフェンス)だった。

使われないレベルのコンディション

ケガはラングニックが退任するちょっと前のこと。肉離れを発症して1か月くらいチームを離脱した。ステファンが監督になり、ケガから戻ってきたときには、スタメンから僕の名前は消えていた。

しんどかったのは確かだ。

でもそれは「なんで試合に使ってもらえないんだ」というような「出られないつらさ」じゃない。むしろ、試合に使ってもらえないことは当たり前だとすら思っていた。そのくらい納得いくプレーができていなかった。

よく覚えている試合がある。2011年12月14日のヨーロッパリーグ・グループステージ最終節、マッカビ・ハイファ戦。すでにグループリーグ突破が決まっていた僕らシャルケは、一軍メンバーを帯同させず、アウェイの地・イスラエルへと乗り込んだ。そのなかに、僕もいた。

チームのこの決断に「二軍メンバーと消化試合に連れていくなんて」と言う人もいたけど、僕にそんな気持ちはまったくなかった。

むしろ、2か月半近く、先発で90分を戦っていなかったから、自分がどのくらいできるのか、コンディションが戻ってきているのかを知る絶好の機会だと捉えていた。想像より落ちているのか、それともできるのか。

試合は3対0で勝った。そして「普通だな」と思った。「止める、蹴る。まあまあ、できてるんじゃんって。ここからだなー」……そんな感覚があった。

実際、試合後にステファンに呼ばれて「ある程度、戻ってきているからこのまま続けろ」と言われた。使ってくれない監督は好きじゃない。でも、ステファンはそれなりに僕を見続けてくれていた。練習中に呼ばれて、「お前、もっとできるだろう」とか「こんなもんじゃないだろう」って話をされた。よく聞くと、その前のシーズンに(フランク・)リベリと対戦している映像を見ていて、そのときのパフォーマンスを取り戻してほしいらしかった。

でも、それから僕のコンディションは、全然上がってこなかった。頭ではわかっているんだけど、身体がついてこない。ばらばら。

監督から期待されている。使ってくれそうな雰囲気はある。だけど、自分のコンディションは上がらない。思った通りのパフォーマンスができない。それがめちゃくちゃ申し訳なかった。

そこから年明けの2012年くらいまで状況は少しずつ悪くなっていった。途中出場や試合に出られなくなる日が増えるようになり、ついにはベンチ外となる。

泣いたのは、初めてベンチ外を告げられた日のことだ。

スランプとは「そういうもん」だ

練習後いつも「俺んちへ遊びに来い」って強引に誘ってくるチームメイトのパパ(キリアコス・パパドプロス)が、その日も「来い」って声をかけてきた。人の家に行くのはおっくうだけど、パパはいいやつだからそれまでもなんだかんだで楽しんでいた。

でもこの日はまったく行く気にならなくて、「ちょっと走ってくるわ」とだけ伝えた。

パパも察したみたいだった。いつもなら「いいから来い!」って言うのにさ、「わかったよ、走ってこい」って。──その優しさにも、泣けるよね。

結局、泣き止むまで走って、それから帰った。

なんでこんな話をしたのか、といえばこの本のテーマであるメンタルについて、自分なりのスタンスを知ってほしかったからだ。決して、これを読んで、「内田も苦労したんだな」とか、思ってほしいわけじゃない。

こういう一見、不甲斐ない、スランプみたいな状況にあって僕は「そういうもんだろうな」と思っていた。

もちろん、感情的にしんどいとか、もどかしいという思いはある。自分にとって良くない状況が気にならないわけがない。

でも、だからといってこれを乗り越えなきゃ、とか、新しい行動をしなきゃいけないみたいな感覚にはならないし、落ち込んで飲みに行って憂さを晴らしてやろう、ともならない。

サッカー選手って、スポーツしている人って、こういうことが普通にあるんだよねー。

そう捉える。それが僕のスタイルだ。

当時インタビューされた内容が今も残っている。ベンチ外の状況を「モヤモヤする?」と聞かれて「モヤモヤしてやろうと思う」と答えていた。

このインタビュー自体は記憶にないんだけど、そう答えた昔の自分に対して「そうだよね」って言いたい。

実際、モヤモヤしているんだから、モヤモヤしまくってやろう。感情をそのまま受け入れる。そんな感じだ。

メンタルは「強い」「弱い」じゃない

僕のなかにあるメンタルのイメージは「上下」だ。

よくいわれる「強弱」じゃない。

メンタルが強い・弱いで考えるより、上にあるか・下にあるか。そして大事なのは、上下する波線がなるべく大きく波打たないようにすること。

感情の抑揚を抑えることがいいパフォーマンスにつながると考えていた。

あの日の涙は、もちろんつらかったけれど、メンタルが波打たないためにとても大事だった。(『ウチダメンタル』(幻冬舎刊)より再編集。第2回に続く)