世界には、牛のうんちで手を洗う人がいます。
新鮮な糞をつかんで手をゴシゴシこすり、次に乾いた糞をタオルのように使って手を拭いて、最後に手を叩いて糞を払い落とす...。
「えっ?」「変だなあ」と思われるかもしれませんが、当人にとってはあたりまえのことです。牛は最も重要な財産であり、牛糞は自らを清めるものであると。
あらゆる境界線が溶け出し、多様性が叫ばれるようになった現代。性別、年齢、国籍、価値観、ライフスタイル...人や社会のいろいろを尊重していくことが求められているけれど、複雑な背景を想像するのはとても難しい。
意識しないと見えにくい多様性を、もっと見えやすく、想像しやすくできないか。
本企画では、文化人類学者の知見をお借りして、世界のあっと驚く「変な事例」を取り上げ、その背景を知ることで、多様性への想像力を高めることを目標とします。
第1回は、江戸川大学名誉教授の斗鬼正一さんに、なぜ世界で「変な事例」が生まれるのかをお聞きしました。
文化人類学者。専門は都市人類学、異文化コミュニケーション。1950年鎌倉市生まれ。明治大学大学院修了後、明治大学や江戸川大学で教鞭を執る。著書に『世界あたりまえ会議』(ワニブックス)、『頭が良くなる文化人類学』(光文社)、『こっそり教える世界の非常識184』(講談社)、『目からウロコの文化人類学入門-人間探検ガイドブック』(ミネルヴァ書房)。
パンもチーズも「変なもの」だった
──世界中の“変”な文化から多様性を学ぼうという企画です。今回はなぜ世界で「変な事例」が生まれるのかをお聞きしたいと思います。
まず前提として、「変だ」という感覚は絶対的なものではなく相対的なものです。なので「変な文化が生まれる」よりも「変な文化に見えている」と表現する方が正しいでしょう。
中国では、犬肉を食べる文化があります。それに対して「え〜!」と驚いたり、野蛮だと思われる方もいるかもしれません。
でもそれは日本も同じで、向こうから見れば、生の魚を食べる日本人は野蛮に映っていたわけです。
つまり、絶対的な「ゲテモノ」なんて存在しないんです。
誰かにとってのごちそうは、誰かにとってのゲテモノかもしれない。逆もまたしかり。どっちがより野蛮だとかそんなことを決めようとするから対立したり、戦争になるんですよ。
──ゲテモノだったはずの刺身や寿司は、いまや世界中に広がってますよね。
そうですよね。ゲテモノと言われていても、それ自体が良いものであれば少しづつ広がっていくんです。日本で言えば、昔はチーズがゲテモノ扱いでした。あんな臭いもの、と。
これは我々戦後生まれの世代でもそうですよ。給食にでたチーズが臭くて食べれないとか。
他国の食文化を受け入れていく過程なんかもとてもおもしろいと思います。
例えば、おまんじゅう。元は中国の北部でできた饅頭(マントウ)というものです。米が育たない気候で粉食文化だったので、小麦粉で作った饅頭を主食にしていたんです。
その饅頭が日本に入ってくるわけですが、その過程でお菓子になっちゃったんです。
──主食ではなく、お菓子になったんですね。
主食はアイデンティティと関わっていますから、他国の食文化がそのまま受け入れられることはほとんどありません。饅頭の場合は中にあんこを入れて、お菓子にしたと。
これ実は同じ形で日本に受け入れられた食べ物がいくつかあって。明治時代になって入ってきたのがパンですね。これも最初は「臭い」と言われて全然売れなかった。
なぜいまのように売れるようになったかというと、銀座木村屋の功績なんです。創業者の木村安兵衛さんがあんぱんを考案して、大ヒットした。
最初は西洋式のパンを作っていたけど全く売れなくて、思いついたのが饅頭の事例だった。饅頭は饅頭でも酒饅頭。日本の酵母でパンを発酵させた。しかも中にあんこを入れた。
やっぱり文化っておしゃれ感がないと憧れの対象にならないですから、外見はパンに見えた方がいいと思ったんでしょうね。だけど中身までパンじゃまずいんです。
パンに見えて、だけど実は中にはあんこが入っていて、しかも日本酒の酵母で作っている。そして、主食じゃなくてお菓子だと。
文化の「真似」は、悪いこと?
──他国の食文化を輸入するときは、日本らしさを混ぜながら広げるんですね。
これをもっと後にやったのが、マクドナルドの藤田田さん。なんで日本でハンバーガーが大ヒットしたかっていうと、実は木村屋と同じことをやったんですよ。
藤田田さんは経営者としてもすごい人なんですけど、趣味が万葉集の研究だったり、日本文化への理解も非常に優れていました。
まず彼はマクドナルドを憧れの対象にしようと思ったんでしょう。アメリカみたいにドライブスルーではなく、銀座三越の一階に1号店作ったんです。
それから名前。いまは違うかもしれませんが、当時の日本人は英語に対して憧れがあったけど、少し怖くもあった。
そういった特徴をよく捉えていて、「McDonald's」を、「マクドナルド」にした。実際にはほぼ日本語なわけですが、英語っぽい。
さらに彼は万葉集の研究をした結果、日本人は三音が一番心地よいと感じるのだと分析していました。それで「マクド・ナルド」「マック」「マクド」になったんです。
他のメニューでも、チキンナゲットなんて唐揚げじゃないですか。テリヤキバーガーなんかもありますが、さらに、外見はバーガー、実はおにぎりというライスバーガーへと独自進化していますよね。
──いまやふつうに生活の中に取り入れられているものも、日本に最適化されているわけですね。
その通りだと思います。異文化を学んでいくと、日常の見え方ももっと変わっていくと思います。
また、多くの文化は地続きでつながっています。世界どこの民族でも、独自に作られた文化はそれほど多くありません。
例えば、日本の文化も、たくさんの異国文化を取り入れた先にできたものです。日本の場合は、特に中国から入ってきた文化が圧倒的に多いですね。
花見ってもともと中国では梅見だったんです。それが日本に入ってきて桜に変わって、いまやドンチャン騒ぎの文化になっている。ここまできたら独自の文化です。松竹梅や節分、凧揚げなんかも中国発祥の文化ですね。
猿真似だみたいな言い方をしたり嫌がる方もいますけど、異文化を次々取り入れて、それをうまく作り変えるって素晴らしい能力ですよね。外の文化を真似するのは悪いこと、アイデンティティを壊すものという捉え方は変わるといいなと思います。
まとめると、「変だ」という感覚は相対的なもので、文化は地続きであると。また、ゲテモノの事例からもわかるように、時間空間を広げて考えてみると、変なものは変ではなくなるし、あたりまえはちっともあたりまえじゃない。よく考えてみると、人間関係だってそうですよね。
その時々の工夫で、多くの異文化を吸収していまがあるんです。その過程を見てみると、発見やおもしろいことが非常にあります。
次回は、一つ「エスカレーター」を事例に挙げて、変わらない「変な文化」の背景を解説したいと思います。