街を歩いていると、不意に耳に入ってくる言葉がある。誰かの会話、カフェのBGM、看板の文字。芸人・鈴木ジェロニモが、日常の中で出会った“ちょっと気になる言葉”に耳をすませて、思考を巡らせます。

 

 渋谷。井の頭線の改札に向かっていた。井の頭線渋谷駅の改札は地上二階にある。ハチ公前の群れを抜けて途中のような横断歩道を渡る。エスカレーターの黒い板に沿って上へと伸びる列に、自分を加える。混んでいるとも空いているとも言えない、もしくはそのどちらとも言える人数が製品のように生き生きと運ばれていく。両足を乗せたエスカレーターは背中だけを晒して顔は見せない恥ずかしがり屋の龍のように一定のスピードで安全にうねっている。すぐ隣にもエスカレーターがある。二階から一階に向かって、こちらの視点から見れば逆方向に動いている。隣のエスカレーターの方が、人が多い。ちょうど電車が到着して、そこに乗っていた人たちが一斉に降りてきたのだろう。あ、高校生。目に入って、一瞬、思う。段差によって生まれる空白を埋めるように、制服の三人が体を曲げ合っている。まるで三つ首の生き物のように、同じ枝の先に咲いた三つの花のように、喋りながら降りてくる。近づいてくる。もうすぐすれ違う。

「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」

 えっ。高校生が、「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」って、言った。すれ違って、認識の倍のスピードで離れていく彼らを振り返る。視線の先の彼らは引き続き体を曲げ合って、時々笑いながら、下へ下へきらきら進んでいく。改めて他人になった彼らの会話を、彼らのうちの誰かの発言を、記憶の中に焚かれたフラッシュのように思い出す。

「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」

「ない」。ここがすごい。言い方がずっと残っている。直前までに登場した言葉たちを大きな鍋の中で転がし合うのかと思わせて、その鍋底を、すとんと消す。言葉と、言葉が引き連れた期待感をまるごと裏切る。鮮やかだ。そして渋谷という街の雑多な印象に対する「全部ありすぎて」という把握。全部があったらいいはずなのに、全部があると、そこに介入の余地がなくなって、魅力を感じなくなる。大人より大人びた高校生にとって、あざとさに満ちた街は退屈だ。「ありすぎて」と「ない」の間に挟まれた一瞬の、文字にするなら読点が生む空白。そこで想像上の渋谷という風船に、全部が満ちる。全部でぱんぱんに膨らんだ風船。その存在を背中に感じながら、さっきの高校生が頭の中で、もう一度言う。

「渋谷はね、もう全部ありすぎて、」

 破裂。

「ない。」

 無音。

 高校生の足がエスカレーターの黒い板を離れて渋谷に着く。退屈の谷底を蹴るために。

渋谷の喫茶店『茶亭 羽當』の良いフォーク
朝のハチ公像

【次回更新は4月12日(土)】

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鈴木ジェロニモ
芸人、歌人

プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024で準決勝進出。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞で最終選考。第1回粘菌歌会賞を受賞。YouTubeに投稿した「説明」の動画が注目され、2024年に初著書『水道水の味を説明する』(ナナロク社)を刊行。文芸誌でエッセイ掲載、ラジオ番組ナビゲーター、舞台出演など、多岐にわたり活躍。>>詳細

 

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鈴木ジェロニモの「耳の音」
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「渋谷はね、もう全部ありすぎて、ない。」——駅ですれ違った高校生
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