起業、独立、複業など「自分軸」に沿った選択をすることで、より理想にフィットした働き方を手に入れようとした女性たちのストーリーを追う連載「INDEPENDENT WOMEN!」。
ガーナの日本大使館勤めの任期満了を目前に、原さんはアフリカへ残るべく、悩んだ末に大手総合商社三井物産への転職を決意する。自身が立ち上げたNGO「マイドリーム」を見届けるため、アフリカの仲間に伴走する役割を果たすため、選び進んだ道とは?自分軸を貫いた原さんのキャリアストーリー後編。
文=小嶋多恵子
ビジネスのノウハウをマイドリームへ還元したい
マイドリームを当初から応援してくれていたひとりに三井物産ガーナ支店の人がいたという縁で、三井物産に転職した原さん。
「民間企業へ転職したのはビジネスを学びたかったからです。これまで模擬国連だったり外務省だったり、どちらかというと役人的な国際協力、パブリックの頭が大きかったんですけど、これだとビジネスの面ではまったく通用しない。貿易、投資、マーケティング、PRなどを学び実践するため、一度ビジネスを軸とした環境に身を置いてみようと決めました」
すべてはマイドリームへ還元するため。
「マイドリームに必要なピースをキャリアで埋めようと思ったんです」
2012年に幼稚園整備から始まったマイドリームは、寄付からの卒業を目指し、ものを作って売ることを開始していた。
「最初は私の家族や友人、知り合いレベルから寄付をしてもらい、プロジェクトの進捗をメールやSNSを使って共有していました。ドナーの方々がいる東京や愛媛、ニューヨークを訪れた際には報告会も行い、少しずつネットワークができていったんです。物販はそのネットワークを使って頼る形で始まりました。そこから徐々に口コミで広がり、イベントの度に輪が広がっていきました」
最初の商品は独特の鮮やかな色彩を持つアフリカンプリントを使ったバッグ。そこから、現地で採れるシアバターを原料に用いた基礎化粧品なども扱うようになった。少しずつ顧客が増え、少しずつ商品を増やしていき、その収益をもって、2017年には村にクリニックを、2019年には中学校を設立することができた。
そんな中、なぜ大企業という安定基盤を捨て、自身の会社を興すことになったのか。それは原さんにとっても予想外の展開だったという。
予期せぬトラブルで人生初の食い扶持を失う
「新進気鋭のパン・アフリカ企業にヘッドハンティングされ、その理念や事業内容に魅力を感じて三井物産から転職を決めました。ところが、立ち上げた事業企画が概ねできあがって、あとは契約書にサイン、お金をインジェクトするだけという段階になって、それができないことが判明したんです。もう想定外すぎて!頭が真っ白になりました」
3か月間心血を注いだプロジェクトが一瞬にして頓挫したショック。原さんは即時退社を決め日本へ一時帰国、呆然とした日々を過ごした。あまりの落ち込みに、この頃の記憶はまだ抜け落ちているものが多いという。傷心旅行として向かった先は、原さんにとっての第二の故郷、ガーナのボナイリ村だった。
傷心で戻ったボナイリ村で起業を決意
「カタカタとミシンの音を近くで聞きながら、この先のことをずっと考えていました。そんな中で、ようやく自分の会社を本業にしていこうかなという気持ちが固まっていったんです」
こうして思いがけないトラブルをきっかけに、2018年5月、株式会社SKYAHは産声を上げる。アフリカ製品を日本に輸入・販売する会社だ。資本金の100万円は貯金から出した。すでにマイドリームで作り上げてきた商品も販路もある。WEBサイトを作る以外に特に経費はかからなかった。株主は100%自分で、それは今も変わらない。途中からは妹が参画し、アフリカ各国のコントラクターやパートナー達とともに仕事をしている。同じく経営者だった父から話を聞いていたせいか、経営についての素地は肌感覚としてあった。何か必要なことがあれば、今は業務委託やアウトソーシングすることで補ってもらえる。日本とアフリカを行き来する生活が始まった。
思いがけずの起業になったが、アフリカの人たちに恩返しをしたい、彼らの環境を良くしていく動きに寄り添いたいという思いは変わらない。
「例えば保湿剤として人気のシアバターは、西アフリカで採れたシアの実をひとつひとつ手作業で加工しているのですが、最終的にはヨーロッパなど外国で商品化されるのが一般的。そうすると現地のお母さんたちには原材料費として微々たるお金しか入らないどころが、時として赤字になる。こういった構造を変えるために、ガーナ国内の起業家さんと組んで国内で生産から商品化までをおこない、しっかりと利益が残るような仕組み作りをしています」
今ではガーナに限らず、南アフリカやナイジェリアをはじめ様々な国や地域のもの作りをバックアップ、アフリカ発のこだわりの製品を輸入、販売している。知人レベルから始まった販路も、メディア掲載やバイヤー向けの合同展示会への出展によって少しずつ拡大していった。2020年に出展したファッション展示会「PLUG IN」では、来場者による人気投票によりグランプリを受賞。百貨店や専門店からポップアップの依頼が多数寄せられた。
「はじめは本当にSKYAH一本でやっていけるのか不安でした。電車賃とかも計算するくらい(笑)。目の前のプロジェクトをひとつずつ積み上げていって、なんとかやっていけそうだという感覚を掴めてきたところです」
ロールモデルになる人々の伴走がしたい
事業を始めて感じたのは、ロールモデルの必要性。
「マイドリームの活動の前半は、いいものを作って、売って、貯金して、現地の環境を改善して、というシンプルなサイクルだったんです。でも良い環境、良い教育が、イコール良いもの作りをする作り手を育てるかといえば、そんな簡単な話ではない。ではどうすれば?と考えた時、その背中を追いたいと思えるようなロールモデルが身近にいることがベストなんじゃないか、そう思ったんです」
きっかけは村の人たちの変化。
「作ったものが売れたり、お客さんがよろこんでいる写真を村の人たちに見せたりすると、女性たちの自己肯定感が高まっていくのがわかったんです。お母さんたちが自分の手でものを生み出し、お金を稼げるようになると、家族の中で発言権が強まったり、子どもの教育にお金を使えるようになったり。表情や姿勢がみるみる変わっていくんです。そんなお母さんたちを見て、“将来、縫い子さんになりたい”っていう子どももでてきて。それを近くて見て、“あぁ、こういうことか”って。輝いているお母さんを子どもたちはちゃんと見ているんだなって思いました」
美しいものづくりには作り手達のプライドが備わっている。原さんはSKYAHの事業の軸としてProudly from Africa(プラウドリー・フロム・アフリカ)というECプラットフォームを立ち上げた。「アフリカの作り手たちが本気で勝負する商品を日本に発信する場」である。高い品質とストーリーのある商品、ひとつひとつがアートピースのように並ぶ。同時に、原さんの思いも込められている。
「アフリカの人たちのロールモデルである彼らに伴走し、フェアな仕事を積み重ねること。これがSKYAHの軸になっています」
SKYAHではアフリカ製品の輸入・販売とは別に、日本企業のアフリカ進出やアフリカ企業の日本進出をサポートするコンサルティング事業も行っている。こちらもアパレルから化学製品まで、これまでの縁がつながり、ますます推進力を増している。ちなみに、コンサルティング事業の第一号の契約は、元勤務先の三井物産だった。
失敗は成功するためのプロセスでしかない
そんなキャリアに注目が集まり、最近は講演会に登壇する機会も増えたという。
「自分が経験したことがユニークなんだなって、日本に帰ってきてから感じるようになりました。この春から大学の非常勤講師をやっているのですが、この経験を若い人たちに還元できればなと思っています。自分の人生の建築家であり設計者であれ、とよく学生には伝えています。自分の経験をシェアしながら、何かのヒントになってくれたらうれしいですね」
マイドリームを立ち上げてから2022年でちょうど10年になる。振り返りと総括をしっかりと行い次に繋げたいと語る、そんな原さんにとっての成功とは?
「成功と失敗って分けられないなと。アフリカの企業では記憶も飛ぶほど落ち込む経験もしたし、正直しんどかったけど、でもそれが糧になったし、結果SKYAHを立ち上げるきっかけになった。すべてが今に結びついているので、あれを経験しなければよかったとは思わないです。失敗は成功へのプロセスだと思っています」
アフリカの人から学んだ“やってみよう”精神
強がりかもしれないと笑いながらも、後悔することはないと原さん。
「アフリカの人たちから学んだことだと思います。新しいプロジェクトをやろうとなった時、日本企業だとできない理由が真っ先にあがってくる。それって、やらなくても彼らの懐は痛まないし、お給料が入ってくるからなんですよね。でもアフリカでは固定給が入ってくる人なんてほとんどいない。何かやろうってなった時に、やらない理由がないんです。リスクやデメリットを想定しても、やらなかったら何も変わらないわけですから。迅速にどんどんやっていく姿には私自身すごく刺激を受けたと思います」
最後にこの仕事をしていてよかった瞬間を聞くと、「常にです!」と笑う。
「今、自分の仕事の在り方としてしっくりくるのは、“黒衣”という立ち位置なんだろうなと。アフリカでも日本でも自分でゼロから立ち上げて表に出るというより、これをやりたいと旗を振る人がいた時、縁の下の力持ちになりたいんです」
日本人気質の真面目さと、どこかカラッとしたアフリカンマインドと重なる朗らかなキャラクター。原さんの女性らしいしなやかな柔軟性と笑顔、日本とアフリカのブリッジ役にこれ以上の適役の人はいない 。
場所:ITOCHU SDGs Studio エシカルコンビニ内
(東京都港区北青山2-3-1 Itochu Garden B1F)
会期:開催中〜2022年1月30日(12月27日〜1月4日は休館となります)
営業時間:11:00~18:00※月曜定休
原ゆかりさんてこんな人! ご本人のリアルに迫る一問一答。
――座右の銘は?
そんなの無理かどうかは、やってみんとわからんよ。
――耳を傾けてよかった人からのアドバイスは?
結局真剣にやっていれば何の後悔もない。
今日の自分は昨日の自分の結果だ。
外務省時代の先輩が言ってくれた言葉。“自分を信じて頑張ろう!”って自分を鼓舞する言葉です。ちなみに個人のメールボックスに「エンカレッジング」というフォルダを作って、叱ってもらった言葉や勇気をもらった言葉を保存するようにしています。
――仕事をする上で譲れないことは?
自分の理念に反する仕事はやらない。
ロールモデルに寄り添う仕事でないもの、植民構造の搾取の中にあるようなものなどは、たとえ儲かる仕事でも請けることはありません。
――自分の強みは?
常にひとりじゃないと思えること。
働き方はフリーランスに近くて孤独に見えるかもしれないけど、プロジェクトには必ず頼れる誰かがいて、ひとりと感じることがありません。
――逆に弱みは?
ひとりで生きていける自信の無さ。
仕事上はひとりじゃない実感はものすごくあるけど、プライベートでは何となくひとりでは生きていけないなって。“私、死ぬ時どんな感じ?”って不安に思う時があります(笑)。
――悩みの種は?
単調が苦手。
マイドリームやSKYAHの仕事に加えて、今年に入ってメンターの資格を取ったり、春から非常勤講師を始めたりして、常に変化を求めるタイプなんです。同じことだけをやる単調が苦手なんでしょうね。変化を求めて新しいことをやり始めて、また変化を求めてって、これまでの人生、そんな状況の繰り返しです。私、いつ満足するんでしょう?(笑)
――ビジネスを始めたことで得た気づきは?
いろんな人との架け橋になれるかもしれない。
様々な仕事を経験させてもらったことで、ようやく本部と現場や、理想と現実のギャップを埋められるような仕事ができるかもしれないと感じ始めています。
――毎日やることは?
朝、コーヒーを淹れること。
コロナ禍になって、コーヒーをゆっくり淹れるのが日課に。豆を挽いていると整うというか、リラックスできるんです。
――ストレス解消法は?
愛犬ナラとランニング。
今まで運動とかランニングとか続かなかったのですが、ナラ(10ヵ月♀)を迎えてからは週に2、3日走れるようになりました。ナラはスワヒリ語で「贈り物」を意味します。
――落ち込んだ時の対処法は?
自分と深く向き合ってみる。
自分を甘やかす。
メンターの資格を取得したからというのもあるのですが、落ち込んだり悩んでいる人たちにかける言葉を自分にもかけるようになって、自身を深掘りできるようになりました。何に辛くて、何に泣きそうなんだろう?って何となく問い詰めると、“こうしたいんだな”とか“これと置き替えられるな”とか、背景にある自分の願望が見えてきて、冷静に整理できるようになりました。
それと自分を甘やかすことも大事(笑)。美味しいご飯を食べたり、お酒を飲んだり、旅に出たり、ナラと走ったり。行き詰ったら環境を変える、お腹を満たす!
――起業したい人へのアドバイスは?
何をしたいかをはっきりと持つこと。
よく起業したい、外務省や国連で働きたい、総合商社に入りたいと相談を受けるんですね。でも、思うんです、そこに行って何がしたいのか?と。何をしたいかが先のはずで、そのアプローチ法として様々な働き方や仕事がある。もしかしたら起業じゃなくてもいいのかも。目的をきちんと見定めると、就職や起業した時に行き詰らないで済むんじゃないかな。
――どんな世の中になってほしい?
フェアで対等な世の中。
先進国途上国とか、男女とかいろんな差を問わず対等な立場でみんなが向き合えるようになれば、もうちょっと世の中よくなるんじゃないかなって。
独立前と独立後の環境や気持ちの変化をチャートで分析 !
「独立してからもありがたいことにいろんなご縁に恵まれて、日々満足しています。とはいっても、成功が何を意味するのかが自分の中では曖昧なので、100点といってしまうとミスリードかもしれませんが(笑)。ただ独立して大きく変わったことは、人脈がものすごく広がったことです。組織に属している時は、時間に制約があるため会える人の人数も限られてしまう。でも今はアフリカ事業開発のコンサルの仕事ではアパレルから化学関係、プラウドリー・フロム・アフリカではそこから派生するプロジェクト、講演としては幼稚園生からリタイアされた年配の方たちまで、様々な人に会う機会に多く恵まれるようになりました。会う人の幅が広がることでまた新しい繋がりが生まれ、何かに向き合う時に想像できる幅も広がっていく。感謝と共にこれからも出会いを大切にしていきたいです」