様々な要因でメンタルが不安定になる人が増えていると言われている現代の日本。

シドニー五輪後の誹謗中傷、病気などアスリートとして多くの困難にぶつかってきた元競泳日本代表の萩原智子さんは、どのように高い壁を乗り越えてきたのか、またメンタルをどのように捉えているのか。

息子の一言から生まれた“ペンギンゆうゆ”の物語

 ある日、息子から投げかけられた「ママの夢ってなに?」という一言。

 実は、この息子の言葉がきっかけとなり、絵本『ペンギンゆうゆ よるのすいえいたいかい』を出版することができたんです。

 幼い頃から絵本が大好きで、いつか絵本が出せたらいいなと心に秘めた夢がありました。そして現役を引退してから子育てを始めた私は、息子に絵本の読み聞かせをしているうちに、子どもにも大人にもアプローチできる素晴らしいツールだと思い、より一層、絵本の存在が大きくなっていました。

 でも、絵本のコンテストに応募する勇気がどうしても出なくて、自分にはできないと半ば諦めかけていたんです。そんな時に、息子の言葉が私の背中を押してくれて。

 残念ながらコンテストで入賞することはできなかったのですが、出版社の方から「企画出版させてほしい」と、一緒に絵本を作るご提案をいただき、今年7月に処女作として発表することができました。

 水泳教室などで子供たちの指導をしていると、どうしても言葉では伝えきれない部分があって。そんな私の想いを“ペンギンゆうゆ”の成長を見ながら、親子で感じとっていただけると嬉しいです。

 ペンギンのゆうゆは、自分の好きなことに一生懸命チャレンジして、仲間やライバルと出会いながら、本当の“強さ”や“優しさ”とはなにかを学んでいく。これは、私が水泳を通して体験したことがもとになっています。

 例えば、水泳を始めるきっかけとなる海で溺れかけた経験や、高校時代に水泳コーチに弱い自分をさらけ出したこと、ライバルの先輩から強さと優しさを教えてもらったこと、先輩が銅メダルを獲得した時の感動など、さまざまな思い出を絵本のストーリーに込めました。

 泳ぐことがあまり得意ではないお子さんでも、一歩踏み出せる内容になっていると思います。

現役時代の萩原智子を強くした言葉とは

シドニー五輪当時について語る萩原さん

 ペンギンのゆうゆは、仲間やライバルとの繋がりのなかで、本当の“強さ”とはなにかを学んでいくのですが、実は私自身も人との関わりの中で、少しずつ強くなってきたタイプの人間なんです。

 現役時代は、応援してくれる人の傍らで、まったく知らない人に誹謗中傷をされたりもして。

 そんな時、実家の玄関でひとり泣いていたら、母親がなにも言わずに抱きしめてくれて、「智ちゃんはひとりじゃないからね。がんばっていること、お母さんは知ってるからね」って言ってくれたんです。もう涙が止まりませんでした。

 でも、母からは「厳しいことを言ってくれる人に感謝しないとね」とも言われて。正直、なんで感謝しないといけないのかと思ったんですが、「それで智ちゃんが成長できたんでしょ」という一言に、どこか救われた気持ちになりました。

 誰かひとりでも応援してくれれば、私はがんばることができる。母の一言でそう気付いた時、怒りや悲しみが一気に吹き飛んで、言葉の力ってすごいなと感じました。母の言葉が、自分をより強くしてくれたんです。

 また、もうひとつ私を強くしてくれた言葉があって。シドニー五輪で4位で落ち込んでいる私に、“60歳のばあばより”という差出人の方から、お手紙をいただいたことがありました。

 そこには「200m背泳ぎを泳いでいる萩原さんの泳ぎが美しかったです。私は60年間泳いだことがなかったのですが、今近所のスイミングスクールに通っています。泳ぐのが楽しいです」という内容が書かれていて。

 苦しいこともいっぱいあったけど、私がオリンピックで泳いだことにひとつでも意味があったとわかった時、思わず目から涙がこぼれてきました。また私も楽しみながら泳ぎたいと、改めて水泳に向き合わせてくれた一言でした。

大きな壁にぶち当たった時は“見えないハシゴ”を探す

数々の壁を乗り越えてきた萩原さんの高い壁の乗り越え方、メンタルコントロール術とは?

 私の自己流のやり方なので、人によって合うかどうかわかりませんが、私がメンタルをコントロールする際にやっていた方法をお伝えします。

 まず1つ目は、自分が得意なことと苦手なことをすべて紙に書き出すことです。

 自分に“できること”と“できないこと”を整理しながら並べてみると、自分に合った選択肢を可視化することができますよね。そうすることで、自分のことをより客観的に理解しやすくなりますと思います。

 さらに、自分がどういう時に緊張して脈が上がってしまうかや、逆に脈を下げるにはどうしたらいいのかなど考えることもやっていました。

 2つ目は、自分でコントロールできないことは“仕方がない”と思うことです。

 たとえば、私の後輩である水泳の鈴木聡美さんが、ロンドンオリンピックの100m平泳ぎで銅メダリストを獲得した時、決勝戦でスタートのピストル音が鳴らないアクシデントが発生したんです。

 機材トラブルのため最初から仕切り直しになり、一旦、選手たちはスタート台からプールサイドに下りました。突然の出来事に選手たちの緊張が高まるなか、鈴木選手だけがにこやかに笑っていたんです。

 普通なら競技のスタートが乱れてしまうと動揺しますよね。でも、鈴木選手は「オリンピックの舞台でもこんなことが起きるんだ!」と思ったら、笑いがこみ上げてきて自然と笑顔になったと言いました。

 そのくらいリラックスした状態で、自分にはどうしようもないことを楽しみながら受け入れられた力は、本当に尊敬しました。

 そして3つ目は、なにか壁にぶち当たった時は“見えないハシゴ”を探すことです。

 一見、乗り越えられない壁だと思っても、実は“見えないハシゴ”がいっぱい掛かっていて、そのハシゴに気づけるか気づけないかで、先が大きく変わってくると感じています。

 でも、その“見えないハシゴ”を掴むためには、今まで以上に視野を広げる必要があります。応援してくれる人の言葉や、恩師がかけてくれた言葉、他競技や他業種の方々、本や新聞で読んだ言葉などに、ピンチをチャンスに変えてくれるヒントがあることも。

 その時には気づけなくても、少し時間が経ってから気づくこともあるので、それに気づけた時に、また壁を乗り越えていけばいい。私はそう思います。(文・坂本遼佑)

(本稿は動画『【シンクロLive・萩原智子】オリンピック4位の私が伝えたいこと 一生懸命の先にあったパラレルキャリア』を編集した全2回の2回目)

Live配信では、現在のパラレルキャリアや過去の病気、アスリートへの誹謗中傷問題、子育て、萩原さんが自身の体験をもとに出版した絵本についてなどをお話しいただいた。

萩原智子さんLIVE配信のアーカイブを配信中。動画はこちら↓