起業、独立、複業など「自分軸」に沿った選択をすることで、より理想にフィットした働き方を手に入れようとした女性たちのストーリーを追う連載「INDEPENDENT WOMEN!」。第6回は助産師で構成される会社With Midwife代表の岸畑聖月さん。助産師の語源は、Mid=共にいる(寄り添う)、Wife=女性、つまり“寄り添う女性”のこと。一般的に出産をサポートする職種と思われがちだが、決してそれだけではない。妊娠、子育て、家庭、働き方など、人生に関わる心と体をサポートする。そのスキルを最大化するため会社を興すまでの道のりを追う前編。
文=小嶋多恵子
※この記事には、堕胎・流産・虐待などに関する記述があります。フラッシュバックなどの心配のある方はご注意ください。
守られていない女性を守るために助産師を志す
現役の助産師でありながら民間企業を経営する岸畑さん。一見、真逆とも思えるふたつの職種の融合をどのようにして考え、至ったのだろう。
「もともとは医者になりたかったんです。中学生の頃に婦人科系の病気をして、女医さんが優しく寄りそってくれたことが支えになりました。その時から、女性疾患のある人や子どもを産みたいけど産めない人たちのために、治療を通して守っていく存在になりたいなと思っていました。高校生の頃、ある事件を目にするまでは」
岸畑さんの中には鮮明に記憶されている。
「近所に住む夫婦がネグレクトで警察沙汰になったんです。当時、父親は夜勤で不在の中、母親は1ヶ月の赤ちゃんをおいて遊びに出かけてしまい、泣き声が近所中に響き渡っていたそうです。高校生の私でもすぐにこれはマズいことだと思いました」
近隣住民が集まり、母親だけが責められたという。
「たしかにいけないこと。でも母親をみんなで責め立て、彼女を守ってあげる人は誰もいなかった。そこに違和感を覚えました。女性は妊娠出産をすれば母親になると私も漠然と思っていたけど、そうじゃない。女性が母親になる過程を支えてあげられる人は誰なんだろう、と。そう考えた時、助産師だと気づいたんです。助産師のほうがより命を守る現場の近くにいられる、これが私のやりたいことだと」
助産学を学びながらも卒論は経営分析
高校を卒業後、看護学校へ進学。
「大学では看護師、保健師の資格を取得しました。さらに、社会課題を解決するためにはビジネスの力が必要だと思い、カリキュラムに経営学がある京都大学大学院の医学研究科に進みました」
主軸が助産学の大学院のため、やはり経営についての授業は物足りなかったと岸畑さん。
「大学院で学んだ経営学は助産師が’開業”するためのものだったので、ビジネスやマーケティングの要素が薄いなと思って。勝手に経営学の教授を訪ねては、おすすめの本を聞いたりして独学していました。みんなの机の上には助産学の本があるのに、私の机の上にはビジネスや経営分析の本ばかり(笑)。そんな学生時代でしたね」
関西出産件数No.1の病院で見た過酷な日常
大学院を卒業後は、関西一出産件数が多いことで知られる病院へ就職した。
「最短でスキルを積むために一番忙しい病院をと考えました。そこでは出産件数が多いことに加え、無痛分娩、助産師だけで出産をおこなう院内助産、NICU(赤ちゃんの集中治療室)など、あらゆる臨床経験が積める。独立、起業するまでに短期間でどれだけ助産師のスキルを得られるかが大事だと思って働いていました」
この時は10年後に独立、起業したいと計画を立てていたという。
「起業資金を貯めたかったのと、助産師は10年やってなんぼ、みたいなに言われていたので、経験値を積むための10年と考えていました」
ところが、実際に働き出してみるとその計画は早くも修正される。
もうこれ以上命をとりこぼしたくない
「大阪で一番出産件数が多い現場だったこともありますが、私が社会課題と考えていた中絶や流産、産後うつによる自殺などが想像していた以上にものすごく多かったんです。退院した後の1か月検診に来ず、連絡をしたら自宅で赤ちゃんが亡くなっていた方とか。
そんな現状を目の当たりにしても、私たち助産師は病院にいる限り何もできない。病院に来ていただいた方しか助けられない。そう思ったときいてもたってもいられなくなりました。
起業するまでに10年も待つのは遅すぎる、それではとりこぼしてしまう命がある。何かを変えていくためには行動しなくちゃ、と。」
起業の始まりは小さなコミュニティから
想像以上の課題を目の当たりにした岸畑さんは、前倒して起業することを決意。そのためにできることは何だろうと思い巡らせる。
「起業には人脈が欠かせないと考えていました。なので、まずは助産師のコミュニティを作ろうと。始めはインスタグラムで自分のアカウントを立ち上げて、“これからの社会は助産師の活躍が欠かせません、同じ志の人語り合いましょう!”と、気軽な飲み会から企画しました。大阪での会に参加できない全国の人たちに会いに、地方に赴いては民泊宿を借りて、そこで10人、20人集まって語り、泊まるというイベント企画もしていました。そうして少しずつ輪が広まっていったんです」
助産師同士の交流の場は、また別の社会課題のヒントをくれた。
「助産師には、実は助産師自身のケアも必要なんですよね。自分と同じ女性が難産で亡くなったり、流産や死産の処置に立ち会ったりして、心が疲弊してしまう。トラウマティックストレスで病んでしまう人もいる。ほかにも家庭との両立や職場環境、夜勤などがしんどくて職を離れていく人たちをたくさん見てきました」
実際に、日本に助産師免許を持っている人は現役世代で全国約7万人ほど。そのうちの約半数が離職した潜在助産師というデータがある。
「ケアする人のケアも必要なんです。助産師同士の感情が共有できて発散できる場所があれば、離職することを留まったり、復職できたり、潜在助産師が少なくなるかもしれません」
そんな助産師同士の横のつながりを太く大事にしながら活動していた岸畑さんに、転機が訪れる。
サポーター企業が15社、事業化が現実に
「女性起業家応援プロジェクト『LED関西』というビジネスプランを発表する場があることを知り、出場したんです。私がこれまで広げてきた200人の助産師の人脈と社会で困っている一般生活者さんをつなげるアプリ開発や助産師を従業員の支援者として企業に導入するビジネスモデルを起業アイデアとして発表しました」
結果ファイナリストに選出、15社のサポーターがついた。アプリだけでマネタイズは難しいと、「LED関西」を通じて知り合ったアドバイザーやメンターなど、多くの人とディスカッションを重ねて事業をブラッシュアップしていった。
「結果、アプリをふくめて助産師の価値を最大化できる、助産師の総合商社のようなベンチャーを立ち上げることにしました。商品開発、コンサルティングや助産師によるオンライン相談サービスなど、いのちを守るために助産師として社会に関われるあらゆることをやろうと」
日本の助産師を代表する会社がイメージだという。
「会社といっても、当時はインスタグラムで200人の助産師とのつながりがあるだけ(笑)。これが本当に事業になっていくのかは不安でした。でも、いろんな場所で口にしたり、発信していくと、それが展開していくんですよね。応援してくれる人たちが現れてくれる」
同時に働き方も変えた。勤務先の病院と調整して正社員から契約社員に切り替え、空いた時間を事業準備に充てた。
「病院を辞めると収入が途絶えるし、とりあえず二足のわらじでできることからやっていこうと考えました」
日本初、顧問助産師サービスの誕生
最初のクライアント先は女性起業家応援プロジェクトLED関西でサポーターとなってくれた企業から探した。
「会社にアポイントを取り、プレゼンやディスカッションをする中で、各会社が持つ課題解決についていろいろとアイデアを提案していました」
そんな折、ある企業から逆提案を受ける。
「産業医とか保健師みたいな感じで、社内に助産師を置いてみたいと相談されたんです。企業に複数人の顧問助産師をおいて、主にオンラインで従業員とそのパートナーの妊娠出産や、復職までを継続的にサポートするものです。私にとってもまさにやりたかったこと、すぐに提案を受け入れました」
女性にとってはもちろん、男性の育休が世のスタンダードへと変わろうとする今、追い風になる事業だ。
顧問助産師事業をサービス化し企業と契約、これをきっかけに2019年11月、株式会社With Midwife(ウィズミッドワイフ)として法人化した。当時岸畑さんは27歳。自身の会社を立ち上げ、小さく撒いたビジネスの種を大きく育てようとしていた矢先の翌年、新型コロナウィルスで事態は一変する。