起業、独立、複業など「自分軸」に沿った選択をすることで、より理想にフィットした働き方を手に入れようとした女性たちの連載「INDEPENDENT WOMAN!」。第9回は化粧品メーカー株式会社DECENCIAに勤務する長﨑範子さんにインタビュー。副業が認められている会社が増えつつある昨今、長﨑さんもそんな会社に身をおくひとり。あくまで会社員として本業に従事しながら副業でも結果を出し続ける長﨑さん。理想の働き方を手に入れたそのプロセスを追う前編。
文=小嶋多恵子 写真=小嶋淑子
衝撃を受けた「広報」という仕事との出会い
「副業で広報の仕事ができることはとてもありがたいことです」と話す長﨑さん。10年以上キャリアを積んできた広報のスペシャリストとして「ディセンシア」に入社したのは2年前。広報という仕事、魅力のすべてを知り尽くしている。
ところが、いま広報は「副業」の立ち位置にある。本業と副業の両立を成功させたヒントとして、まずは過去のキャリアから紐解いていきたい。
長﨑さんが広報の魅力を知ったのは最初に就職した都内の有名美容室での出来事だったと振り返る。19歳の頃だ。
「当時、美容室のリニューアルオープン時に日本初となるヘッドスパを開始したんです。そこで私はヘッドスパセラピスト1号社員に選ばれまして、社内の広報担当者と一緒に企画立ち上げに参画しました。その時初めてメディアというものに触れたのですが、ビビビッと体に電気が走ったというか、一気に広報という仕事に魅了されました」
サロンに広報がいることも、ましてそれが女性であることもめずらしかった当時、敏腕をふるうその女性広報の活躍を間近で見て長﨑さんは気持ちが高ぶったそう。ファッション誌に強い憧れがあったこともあり、その影響力の強さに衝撃を受ける。
「ブランディングやPR、スパメニューなども一緒に考えていったんです。結果、それが女性ファッション誌にはもちろん、美容業界、新聞などさまざまなメディアに取り上げられ大きなニュースになりました。広報という仕事を極めるとこういうことが起こるんだ、と肌で感じた瞬間でした。
メディアの方が取材に来て、体験し、それが記事になって多くの人の目に触れる。それを見たお客様たちがサロンへ来てくださる。こんなに人の気持ちを動かすことができる、行動を変えられることにただただ驚きと感動で。私もたくさんの人に知ってもらうことを仕事にしたいと強く思うようになったんです」
「好き」を仕事に、サロン退社を決意
やってみたい気持ちに突き動かされた長﨑さんは広報になる道を模索する。ストレートに影響を受けた美容室の広報担当の女性を筆頭に、当時オリンピックを目指していた友人、美容師を目指してサロンワークに精を出す同僚たちなど、周囲にいた“好きなことに没頭して挑戦している”人たちの姿も気持ちを後押しした。
とはいえ、会社ですぐにそのポジションになれるわけではなく、「外に出て挑戦するしかない」と退社を決意。その後、数社のアルバイトや契約社員などの経験を経て、念願のPR会社に転職する。
「初めてのPR会社では、メディアリレーション担当でした。メディアリレーションとは雑誌や新聞、テレビなどメディアの方と良好な関係を築き、会社が契約した企業の商品やプレスリリースを持って誌面や番組に取り上げてもらうためにアプローチする仕事です。そこでは多くの方に会う機会に恵まれました。毎月30人以上のメディア関係者と接触していましたね」
PRコンサルタントを目指してさらなる転職へ
広報、PRの基礎を一通り習得すると、ただできあがった商品を預かりメディア展開するだけでは理想的な広報像には辿り着けない、と再び転職を模索する。目指したのは広報PRをひとりで完結できるコンサルタントだ。
「商品の背景を知れば伝え方も変わる。もっとこうしたほうが売れるよねとか、ここを伝えたほうが御社の魅力が伝わりますよ、など、より経営に近いところから広報担当として関わっていきたかったんです」
そこで、1人目のお子さんを出産し、復職するタイミングで、縁あって知り合った『株式会社ベンチャー広報』に転職した。
「まだ育児に集中したい時期だったので月4時間程度働くという業務委託契約で広報アシスタントになりました。設立まもないPR会社で従業員は社長と私の二人だけ。ここで顧客ととことん深く関わっていくコンサルティングワークのすべてを習得しました」
ベンチャーやスタートアップ企業に特化したPR会社のコンサルタントとして、IT、人材・教育、HR、雑貨、ロボット、医療、介護、ふるさと納税など、担当したクライアントは多岐にわたった。まさにゆりかごから墓場まで。
入社1年目で正社員へと昇格し、新米コンサルタントとして経験を積んでいく。2016年には次女を出産、復職し、コンサルティング業務にアクセル全開で没頭していた。
本当に好きなもの、共感できる企業に寄り添いたい
そんな中大きな転機になったのは、2019年春「ディセンシア」との出会い。当時、会社の規模も拡大し、クライアントに恵まれる一方、次第に悩みが募っていた。
「本当に好きなもの、共感する企業の広報をじっくりとやってみたいと考えるようになりました。メディアが与える影響が大きいからこそ、慎重に広報活動を行いたい。もともと、私個人がいいな、素敵だなと思うものを広めたいと思って広報を目指していたので、今のままでいいのだろうかと思うようになりました。
広報業務を担当されている方の中で、「好き」と「仕事」が一致していることはあまりないかもしれないですけど、私はそこが一致している仕事がしたいとずっと期待していたのかもしれません」
そこで出会ったのが「ディセンシア」。
「当時コンサルとして働きまくっていました。もちろん家事に子育てもしながら休日も仕事のことを考えている状態。もう肌に限界がきていてボロボロに荒れていたんです。病院にいっても治らず、その肌で人前に出ることのストレスを常に感じていました」
感動をシェアしたいと原点に戻る
そんな折、「ディセンシア」のメンバーに出会う。当時の社長に肌悩みを話したところ、「よかったら使ってみてください」と「ディセンシア」のトライアルセットを手渡された。
「薬じゃないんだから、スキンケアで変わるわけないでしょ?って内心思っていました。ところが使って3日後、夫から『病院変えたの?』『化粧落としてないの?』って言われて。
自分でも驚きました。肌がうるおい、なめらかになっていたんです。一週間使ってみて、鏡を見るのが楽しみになりました。そんなご縁もあって、『ディセンシア』の広報活動を支援することになりました」
広報として携わっていくうち、商品や企業、その背景やストーリーにますます惹かれていった。
「これだ、と思いました。女性と肌と社会はとても密接に関わっています。仕事をする女性が増えましたが、肌が不安定だったりすると今ひとつ自分に自信が持てない。私は『ディセンシア』に出会って長年ストレスだった肌悩みが軽減されました。おかげで心の可処分時間がものすごく増えたんです。もっと早く出会っていれば、と(笑)。
そこでやっと“あぁ、こういうことか! 心から感動できることを伝えたい!この気持ち取り戻したかったんだ”と気づいたんです。それでディセンシアへの転職を決めました」
コロナ禍で広報から未経験の商品PRへ異動
2020年1月、晴れて「ディセンシア」に転職するも早々にコロナ禍へ。体制が変更され、広報から商品PRへと異動になる。「広報と商品PRは業務が異なるので、まったくの未経験、未知数」と長﨑さん。
「広報は、メディアの意思でニュースや記事として報道してもらうもの。一方、商品PRは時には広告を出稿して、自分たちの想いやイメージを発信し、商品と消費者のコミュニケーションを喚起するのが主な活動となります。
さまざまなステークホルダーの方に、よりブランドや商品を魅力的に感じていただくにはどうしたらよいかを考え、行動することが主な役割。商品やサービスの認知を広め、ブランド価値を向上させることを求められています。そのためにマーケティングの勉強も始めました」
副業のきっかけはほんの些細な頼まれごと
不安を口にしながら、新しい分野への知識が深められることにはポジティブだった。そんな商品PRとして歩みだした頃、知人から「明日記者発表がしたい」とSNSで相談の連絡がくる。
「SNSのやり取りをしはじめて、即興の広報チームをつくり、夜通し準備を進めました。始業開始前で離脱しましたが、記者発表は成功。その際ご一緒した方から、お仕事のご相談をいただき、副業を開始することになりました」
まさに渡りに船、絶妙なタイミングでおもいがけず始まった副業。もちろん副業の準備など一切していない。ただひとつ心がけていたことがある、それは「人との関係は絶やさないでいました」。こうして次第に副業が拡大していく。
後編では本業に軸足を置きながら副業も好調に伸ばす、長﨑さん流メソッドに迫る。
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