遠藤航が記した「自分の立場や役回りに悩んだ」経験
プレミアリーグの強豪・リバプールで「月間最優秀選手」に選出されるなど「世界」にその名を知らしめ始めた遠藤航。サッカー界ではベテランとされる30歳での躍進は、彼の類まれな「思考」が支えとなっている。
例えば多くのファンにとっては「デュエル」(1対1の強さ)が彼のプレーの象徴と言われるが、遠藤は違ったところに自分のストロングポイントを見ている。
今回は12月躍進の背景を自身の著書『DUEL 世界で勝つために「最適解」を探し続けろ』から紐解く(前後編)。
〈前編〉急激な適応?「遠藤航の最大の長所は1対1でも守備でもなく…」
ポリバレントの果てに見出した「人を生かす」
どのポジションをやっていても変わらなかったことがひとつあります。
それは全力でプレーするとか当たり前のことは抜きにして──、「チームメイトの特徴を最大限出せるようにプレーする」と言うことです。
湘南時代、僕の最初の主戦場は3バックの真ん中のポジションでした。そこから監督だった曺さんの勧めで3バックの右へとポジションを変えます。運動量が必要なポジションで、若い僕にはうってつけでしたが、何より僕の前のポジションになるウィングバックの選手を助ける役回りにやりがいを感じました。
3バックは相手に押し込まれると、両サイドのウィングバックがディフェンスラインに入り5バックになってしまいます。失点しないために意図的にそれを作ることもありますが、後ろが5人になってしまえば、攻撃に出るときの迫力が削がれる。
当時の湘南はウィングバックに藤田征也選手や、古林将太選手といった足が速かったり、攻撃力に特徴がある選手を起用することが多かったため、彼らがなるべく相手陣内でプレーできるようなポジショニングとプレーを心掛けました。
このスタイルはボランチとしてプレーしているいまでもずっと続いています。
カタールワールドカップアジア最終予選の日本代表では「4−3−3」をベースの布陣にしていましたが、中盤の「3」はアンカープラス2人のインサイドハーフという組み合わせで、3人の連係が攻守の肝になっていました。
僕はそのアンカーでプレーしていたので、インサイドハーフのふたりがどんな選手になるかで、自分の役回りを変えるようにしていました。
例えば、予選でもっとも多く組んだのは、モリ(守田英正)と(田中) 碧でした。かつて川崎フロンターレで一緒にプレーをし、アンカーも経験していたふたりは、足元の技術が高く、攻撃の組み立てがうまい選手です。一般的に言えば、アンカーである僕がボールを受け、攻撃を組み立てる役目を担いますが、モリと碧と組むと、ふたりがアンカーの脇まで下りてきて、攻撃を組み立ててくれます。僕はその能力を最大限発揮できる環境を作ってあげたい。
こういう場合、僕はあまり真ん中のポジションから動かず、相手の守備陣を引き付けて、ふたりがボールを受けやすくすることに徹します。
また、インサイドハーフが(鎌田)大地やタケ(久保建英)のようなキーパスや得点に長所を持つ選手が並ぶ場合は、なるべく彼らが下がらなくていいよう、前でプレーできるような立ち位置を探していきます。そして、高い位置で縦パスを入れることや、相手ディフェンダーと勝負しやすい場所での配球を心掛けるのです。
これは2ボランチなどシステムが変わっても変わりません。
長い間、コンビを組んでいた(柴崎)岳と組むと、阿吽の呼吸ですごくやりやすかったのですが、それは互いに長所、特徴を理解し合って、いいところを引き出し合おうとしていたからじゃないかと思います。
日本代表メンバー発表前、最後のテストマッチとなったドイツ遠征ではモリと2ボランチを組みました。攻撃の能力が高く、全体のバランスも見ることができるモリとは、横に並んだり、縦関係になったりと、状況に応じてよい関係を築けています。
「どの選手と一緒にプレーするとやりやすいですか?」
よく聞かれる質問ですが、本当に「どんな選手でもやりやすい」というのが本音です。一緒に組む選手の長所を最大限引き出すプレーをする。人を生かす。それが僕の長所だから、当然だと思っています。
この長所、考え方は多くのポジションを経験したことで生まれたものです。「自分のポジションがわからない」過去を、全力やり切ったからこそ、そのポジションの選手の気持ちがわかり、どんな選手と組んでも、その選手の気持ちを想像できるようになりました。
自分の立場や役回りに悩む人がいれば、その経験は「やり切れば」必ず生きる、ということを知ってもらいたいと思います。
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