ここ数年、“自己肯定感”という言葉が注目され、「自分はどうだろう?」と考えてはモヤモヤする人も少なくないはず。かくいうエディター澤田も自己肯定感の低さが悩みのひとつ。この特集では、そんな私が「私のままでいい」「今が幸せ」と言えるようになるべく、自己肯定感の回復に成功した人や心理カウンセラーに話を聞き、自己肯定感を高める方法を探ります!
第一回目は、仕事で活躍しながらも自己肯定感の低さを自覚し、過去を見つめ直すことで幸せを手に入れたというフリーエディターのMさんにお話を聞きました。
文=松倉和華子
自信喪失のきっかけは婚活
エディター澤田:Mさんは自己肯定感が低かったのに、自力でそこから回復し、今では「毎日が幸せで仕方ない」そうですね?
Mさん:はい。友人と「毎日こんなに幸せでいいのかな」と言っています(笑)。
エディター澤田:すごい!(うらやましい)
そもそも、Mさんが自己肯定感の低さを自覚したのはいつだったんですか?
Mさん:そもそものきっかけになったのが37歳の時に始めた婚活でした。当時「このまま独身でいるのはまずい」と思い、アプリなどを使って婚活を始めました。
それから2年間で数人お付き合いしたんですが結婚することはなく、39歳の時に「この人かも!」と思った人とも別れました。別れを重ねて疲れ、「なぜ毎回こんなことになるのか?」と自分について考えることにしたんです。
そこで思い出したのが、20代から30代の間、当時の恋人や友人、お世話になっている先輩に「どうしてそんなにいつも自分に自信がないの?」と言われていたことでした。
エディター澤田:どういう意味だったんですか?
Mさん:私も当時はわからなかったんです。その頃は自分に自信がないなんて思っていなかったし、そう言われても「なんでこの人は私にそんな失礼なこと言うんだろう? そんなことないのに!」って、言ってくれた人に対して悪意まで感じていました。
一方で、30代になった頃から実家に帰ると体調を崩すようになっていて。やはり結婚していないことを親に申し訳ないと思う気持ちが強く、実家に帰ると「早く結婚しなさい」と言う母親と口論になってしまって、気が重かったのかなと。そんな折、高校時代の友人から、「毒親」に関する本を勧められました。
エディター澤田:友人は、Mさんとお母さんとの関係に問題があると思ったと?
Mさん:はい。でも当初、毒親って言われても、自分の親がそうだなんて思いもしなかったんです。
たしかに結婚のことで喧嘩になったりしていましたが、それでも母とは仲良くやっていると思っていたし、母は毒親という言葉から連想するような暴力性もないし、もちろん幼少期からひどい言葉で罵倒されたりしたという経験もありませんでしたから。
しかし、『逃げたい娘 諦めない母親』(著者:朝倉真弓・信田さよ子/幻冬社)を読んでみたら、まさにうちの母親とぴったりリンクしていたんです。そこから『気づけない毒親』(著者:高橋リエ/毎日新聞出版)など毒親に関する本を7、8冊読みました。
娘の功績は「全て私のおかげ」
エディター澤田:具体的に、どんなことが当てはまったんですか?
Mさん:暴力や直接的な暴言はないんですが、私が小さな時からうちの母親は何かと「今のあなたがいるのは私のおかげ」という人でした。
DVや借金、浮気など、父がかなり問題がある人だったんですが、そんな父と離婚して私を育てている中で、うまくできたこと、褒められるような出来事については「お母さんが女手ひとつで頑張って育てているからだ」と言われていました。
そしてできなかったことや、失敗したことはすべて「離婚した父親にそっくりだ」と。今、思い返しても褒め言葉より「父親そっくりだ」「育て方を間違えた」と言われた回数の方が断然多かったです。
大人になってからも、出版社に入ったことやファッション系の媒体で働いたこと、著名人と仕事をしたり、都内で芸能人がたくさん住むエリアで生活していること、それらを全部「私の育て方、教育が良かったからセンスが良くなったし、今のあなたがある」と言われていました。
今でもお正月に帰ると「私のおかげで今のあなたがいる」という話を5時間も聞かされたりするのはザラ、と言うかもはや我が家の恒例行事です(笑)。
実は、2年前に都内から郊外へ移住したんですが、その時も母からは「結婚してない、仕事もなくて家賃が払えなくなったから引っ越すんだ、この先どうするつもり? せっかくしっかり育てたのに、なんでこんな風になってしまったのか……」って延々言われて。決め付けてますよね(笑)。
エディター澤田:それはしんどい…! Mさんの資質や努力、決断したことなのにすべて母親のものにされてしまうんですね。
Mさん:もちろん大変な思いをして育てて、大学まで出してくれた母には感謝もしています。でも、とにかく母は私を一人の人間として認めておらず、私の人生についても私自身が選択して、決断した道だと認めないんですよね。
読んだ本の中に、「一部の毒親は自分の人生を子供に託す傾向があり、子供の人生と自分の人生を切り離して考えられない」とありました。だから娘である私の人生を通して、自分の第二の人生を生きているかのような感覚で口出しするし捉えてしまう、そんな感じだったと思います。
それが長年、積もり積もって「お母さんの期待に応えられない私って、なんてダメなんだろう」って、40歳手前まで本気で思っていたんです。だから結婚も同じように「できなくてごめん」って思っていた。
エディター澤田:それが自己肯定感の低さにつながっていたんですね。そんなお母さんだと、結婚相手への条件も厳しそうですね。
Mさん:まさに、結婚相手の条件が細かくありました。まず、最終的には私に地元へ帰ってきて欲しいということで、同じ地元出身であること。そして長男はダメ、何かと苦労するから。あとは私より少し年上であること、スーツを着る仕事に就いていること、親の住まいは一軒家、できたら父子家庭など。
エディター澤田:えええー! ハードル高すぎ!
Mさん:過去にその条件を満たした人を二人紹介したことがあるんです。でも一人は「相手家族がみんな高学歴すぎて、結婚したらあなたがいじめられるから辞めておきなさい」と言われダメでした。
もう一人は、見た目が母の好みではなかったのか「なんか違う」の一言でなしになって。そう言われることで自分も相手のことが本当に好きなのか、親の条件通りだったから付き合っていたのか分からなくなって、あの時私の中で何かが崩壊しました(笑)。
エディター澤田:むしろその条件の人と2人も付き合えただけですごすぎます。
Mさん:さらに、彼と別れたことを告げると「ほら、あなたの性格が悪いから」と言われ、私がダメだからと刷り込まれる。でも母は、ところどころで「あなたの幸せを願っているからだ」とか「あなたのために言っている」とも言ってくる。
それで私も母と自分を切り離して考えられず、がんじがらめになっていたんです。そんな中で自分そのものを肯定することができなくなっていったのだと思います。
自分に「ないもの」にばかり目が行ってしまう
エディター澤田:本を通して、自己肯定感が下がっていた原因は毒親だったと自覚できたんですね。自己肯定感が低かった時期は、自分のことをどう感じていましたか?
Mさん:昔から自分に「ないもの」ばかりに目がいく子どもでした。物心ついたときから、母子家庭育ちだったことで、みんなに当たり前のようにいる父親が、自分にはいないことに大きな喪失感を感じていたことからスタートしています。
大学を出るときも周りが就職して行く中で、私は就活をせず就職しなかったのに、「就職できていない」という劣等感が強かった。その後、出版社にアルバイトとして入っても「正社員ではない」。
そして出版業界でハイセンスでクリエイティビティ溢れる人々と出会い、自分には「センスがない」。またバイトだったので当時は「お金もない」。これだけ「ないもの」だらけの自分を責めることで、自ら自己肯定感を下げていました。
エディター澤田:その後正社員になって、側から見れば決して「ないものだらけ」に見えない状況でも、本人が自分を肯定できないのは辛いですね。
Mさん:そうなんですよ、周りの人たちが歩む人生こそが正しくて、幸せ、素晴らしい人生だと思っていたので、そこから外れている自分の人生は間違っていて、幸せとは言えない。
あとは社会的に言う女性の幸せとは「パートナーに愛されて、子供を持つ人生だ」とも思い込んでいたので、結婚している人と比べて劣等感を感じてイライラしたり焦ったり。
そのせいで、仕事でしか自分を肯定できなくなっていたんです。仕事をすると名前も立つし、それに見合った対価が入るので分かりやすく自分を肯定できる。
だから依頼された仕事をほとんど断らず、生活の9割近くを仕事に割いてきました。ただ、そうやって過ごしていた30代後半は忙しく充実している一方で、自分を省みることができなかったし、常に慌ただしくて疲れていたと思います。
エディター澤田:同世代の同性として共感することばかりです。次回はそこから脱したワークと現在について話を聞かせてください。