日々自分なりに頑張り、欲しいものもある程度は手に入れている。なのに自己肯定感が低く、モヤモヤを抱えるエディター澤田が「私のままでいい」「今が幸せ」と言えるようになるべく、自己肯定感を回復させることに成功した人々の話を聞く本連載。
今回は、『しんどい心にさようなら』の著書であり、心理カウンセラーとして活動するきいさんにインタビュー。自身も幼少期から「自分が大嫌い」と感じていたという。前編では、自己肯定感の低さを感じたきっかけから、それに向き合い、改善を決意するまでのお話を伺いました。
文=松倉和華子
武蔵野美術大学を卒業。統合失調症、適応障害の経験から認知療法やアドラー心理学などを独自に学び、抑うつ状態を改善。インスタグラムで発信する心理学の考え方や役に立つ知識が好評を博している。著書に『しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方』(KADOKAWA)、『「私は自分が好き」と言うことから始めよう』(大和出版)がある。
厳しい家庭環境といじめで『自分のことが嫌い』に
エディター澤田:心理カウンセラーになる前のきいさんは、自己肯定感がかなり低く、悩んでいたそうですね。
きいさん(以下、きい):これが自己肯定感が低いということだとは知りませんでしたが、私が自分を嫌いだと自覚したのは、幼稚園とか小学生のとき。小学校高学年の頃には、「私は一生、自分が嫌いだ」って考えていたのを覚えています。
エディター澤田:そんなに早くからそんな辛い考えを…。
きい:辛いというより私にとってはごく自然な感覚でした。
今思うと理由は主に2つあり、ひとつは母親がとても厳しい人だったこと。うちは両親とも教員だったんですが、いわゆる教育ママでした。今では愛情からだとわかるのですが、大人になっても困らないようにと、厳しく育てられたのを覚えています。
もうひとつは小学校の時にいじめに遭ったこと。リーダー格の子が2人いて、その子たちの影響でクラスみんなに無視されたり、冷やかしや嫌がらせに遭いました。
エディター澤田:お母さんは、どんなふうに厳しかったんですか?
きい:母自身がマナーや挨拶はもちろん、世間一般的に「こうあるべき」とされるものを忠実に守りたい人でした。その分、厳しく評価する人。
印象的な思い出があって、小学校5学年生のときに90点のテストを家に持ち帰ったんです。そのテストは平均点が低く、高得点だったことが嬉しくて。ウキウキしてお母さんに見せたら、「あんた10点も間違えちゃったのね」と一言。子ども心に褒めて欲しかったんですが、浮かれたことが恥ずかしくて、ガッカリさせたことが悲しくて。
そんな調子で、小さい頃から母が定めた高い期待のハードルを超えるために必死で勉強したり、習い事を頑張っていたのを覚えています。それに加えて母は、怒ってはいけない、大人に口答えしてはいけないと、感情まで抑圧してくる部分がありました。一緒にはしゃいだり旅行に出かけたり、明るく楽しい思い出もあるんですけどね。
エディター澤田:いわゆる、隠れた毒親という感じでしょうか。
きい:そうですね、罵倒されたり、暴力を振るわれるわけではない。なんなら外側から見ると憧れられるような家庭。
おてんばだったのでよく怪我をしたり馬鹿げた振る舞いをして苦労をかけている自覚もありました。でもだからこそ反発できないし、嫌なことがあってもそれを伝えずに我慢してきました。
子どもって多くがそうだと思うんですが、家の中で怒られたりダメだとされることは、イコール世間一般的にも絶対にダメで、許されないことだと思ってしまう。逆に、家で褒められると「これでいい、こうあるべきなんだ」って無理して頑張ってしまう。
私はよく「泣かないで偉いね」「我慢して偉いね」と言われていたので、「そうか、人間とはそうやって我慢したり耐え抜くことがいいことだし、そうあって然るべきなんだ」と思っていました。
エディター澤田:そこにいじめも重なったと。
きい:私という存在そのものを否定されるような体験でした。それ以来「人を信じると裏切られるから、信じてはいけない」と思ってきたし、その後の人間関係にも影響を及ぼす出来事でしたね。
母親との関係では、小さな傷がいくつも重なって、知らないうちに深く傷付いていた。いじめは一度の出来事でしたが、深く爪痕を残すものだった。これが「私は自分が嫌い」と強く思うようになり、自己肯定感を下げる思考回路になった主な原因です。
自分にも他人にも厳しくしすぎていつも心が荒れ模様
エディター澤田:自己肯定感が低かったとき、どんな思考や癖がありましたか?
きい:まず大前提として、なにか悪い出来事があると「自分が悪い、自分のせいだ」、なんでも「原因は自分にある」と考える習慣がありました。
例えば、友達と食事へ出かけたら、たまたまお店が休みだった。そうすると「どうしよう、私のせいだ」と思ってしまうんです。それが偶然だったとしても、すべて自分のせい、自分の至らなさのせいのように感じてしまう。
エディター澤田:「私がこの店を選んだから」「ちゃんと調べておかなかったからいけないんだ」みたいな感じですね。わかる気がします。
きい:対人関係では、関係が壊れることに怯えていて「本当の自分を見せたら嫌われる、合わせないと嫌われる」と常に思っていました。それを前提に考えておけば本当に嫌われた時にショックが和らぐ、耐えられると思っていたんですよね。だから仲良しの子にメールやスタンプ1つ送るのにも何度も読み返して「不快にさせないかな」とすごく気を遣っていました。
エディター澤田:それは息苦しいですね。
きい:はい。精神的に疲れましたね。基本的に「私は好かれない」「○○ができないと愛されない」と思っていたので、できる自分はいいけど、できない自分を受け入れることができなかった。
たとえば、誰にでも優しくするべき、周りと違ってはいけない、嫌ってはいけない、とか。頭の中にルールブックがあって、そこにある正しい行動だけがOKでそこから外れることは違反行為としてブザーが鳴る感じ。できないと自分を責めていました。
エディター澤田:でも人間だから日常のなかでイラッとしたり、誰かを嫌いになったりって瞬間はどうしてもあると思うのですが、その度に自分を責めるとなると、自然なふるまいができないってことですよね。
きい:そうです、もう日常のほとんどが強がる、我慢して合わせる、演技して無理するという感じです。本当は弱いしできないし甘えたい気持ちもあるのに。
なんでも「正しいか、間違いか」「○か×か」で批判していましたね。さらに、その判断基準を他者にも当てはめていたので、この人は挨拶できてないからダメ、言葉使いが悪いからダメ、とか。「なんでちゃんとしないの!?」って勝手に苛立ったり怒ったりしていました。
エディター澤田:なるほど…お母さん由来の高いハードルが他人にも向いてしまっていたんですね。
モラハラな交際相手から脱却したくて心理学を勉強
きい:はい。だから当時付き合っていた人との関係も良くなかったです。彼は何かと正論を突きつけて、「彼女だからこうすべき」「こう振る舞え」と言ってきたり、定期的に私の体重を測っては無言のプレッシャーをかけられたりもしていました(笑)。
エディター澤田:体重管理まで!?
きい:苦しくなるのも当然ですよね(笑)。今の私ならそう思えるんですが、当時の私は自分のことが嫌いで、見た目や性格を自分で責めていた。彼も私を厳しく責めるので、攻撃対象が一緒になり、驚くことに逆に波長が合ってしまっていたんです。
エディター澤田:ふたりしてきいさんを攻撃することで、ある意味気持ちはひとつになっていたという。
きい:そうなんです、互いにぴったりの相手だと勘違いしました。自分よりも頭が良く、冷静に物を言う彼に劣等感を感じていたこともあり、彼の言い分が正しいと思っていた。
嫌だなと思う部分があってもその気持ちを無視して従っていたんです。そして相変わらず、他者に対しても「できていないこと」「足りないもの」を見つけては苛立って、さらに「人にイラつくなんてダメだ」と自分を責めて、ストレスを感じるという状況に拍車がかかっていました。
エディター澤田:負のループになっていたんですね。
きい:はい。とにかくそれを辞めたいという一心で、インターネットで「イライラ 自信がない 直す」とか検索して、『嫌われる勇気』などで知られるアドラー心理学に出会ったんです
そこから心理療法や心理分析など他にも本を読んだりして勉強しました。自分がどんな状況にあるか、自分の性格や思考習慣などを掘り下げていくと「別に全部私が悪いわけじゃなかったんだ」ということがわかって、ものすごく気持ちが楽になったんです。
エディター澤田:なるほど。では後編ではきいさんが肯定感を回復させるためにとった具体的な行動について教えてください。