折茂武彦が引退する。それは、日本バスケットボール界にとって大きなニュースだった。発表されたのは約2年前の9月30日のこと。そして実際、B.LEAGUE2019-20シーズンをもって、伝説と呼ばれた男は49歳でコートを去った。
帰化選手を除く日本人初の10000得点や日本代表での活躍などプレー面はもちろんのこと、所属したB1リーグレバンガ北海道の創設者であり社長としてもバスケットボール界を牽引し続けた。日本バスケットボール界でその名を知らない者はいない。
49歳での引退。2年前の引退発表会見では、その理由を「レバンガ北海道にとってもチームが変わらなければいけない中、これからは若い選手がチームを引っ張っていかなければいけないと思っていたので、今シーズンでけじめをつけたいという思いがあり引退を決断しました」と語ったが、実はもう一つ、隠された決定的な理由があった。
昨年10月に上梓し話題となった折茂の初の著者『99%が後悔でも。』に記されたその裏側とは。
「コロナ前」のマスク
受け止めようにも、何がなんだかわからない。
そんな気持ちだった。
2019年6月、札幌は肌寒い日が減り、爽やかな初夏の陽気になっていた。そんな中、わたしはマスクをつけ始めた。新型コロナウイルスが見つかる半年前だ。
風邪を引いたら、命を落とす可能性があるからだ。
背中の痛みが治まらず、病院に検査を受けにいった。
診断は、「間質性肺炎」。
簡単にいえば、肺に穴が空き、ハチの巣状に壊れていってしまう病気だ。進行すると呼吸困難が進行し、死に至るという。
右の肺の3分の1程度が壊れていた。そして、壊れた肺は、元には戻らないそうだ。
不幸中の幸いで、早期発見だった。しかし、ちょっとした風邪でも、こじらせると「急性増悪」という状態に陥り、肺炎を併発して命の危険に晒されるという。
マスクが手放せなくなった。
いつからこうなっていたのかはわからない。肺のCTスキャンを撮影したのは10年ほど前。当時、症状は見られなかった。
10年かけてここまで進行したのか、それとも最近発症したのか。40歳を過ぎたあたりからダッシュをすると感じていた息苦しさの原因は、もしかしたらこれだったのかもしれない。でも一方で、若い選手と同じ練習メニューをこなせていたのも事実だ。こればかりは、謎のままだ。
わたしは間質性肺病変という病気にかかっていて、右肺の3分の1が壊れている。
その事実だけが突き付けられた。
薬を飲むこともできない
薬を飲むこともできなかった。治療は、ステロイド系の薬で炎症を抑える対症療法が基本となる。ステロイドは、いわゆる筋肉増強剤としても作用してしまうため、アスリートの使用はご法度。
何かが、プツリと切れてしまった感覚だった。
区切りとなる、通算10000得点も達成した。昨シーズン(2018-19)前には、ずっと応援し続けてくれた母の死もあった。わたしが先頭になって牽引してきた日本バスケットボール界は期待の若手が躍動し、引っ張ってくれるようになった。経営も安定してきた。
そんな中で、突如突き付けられた命の危機。
「俺の役目はここまでなのかな……」
思えば、ずっと辞め時を探していた。それがついに訪れたのだ。
毎年、6月に数日間だけ休みをもらい、沖縄で体と心を休めている。マネジメントをお願いしている会社の社長と行くのが常だ。
今年は3泊4日。新千歳空港から羽田空港に向かい、例年どおり、そこで東京在住の社長と落ち合った。
心は決まっていた。沖縄に向かう便の搭乗ゲートに入ったところで、何も知らない社長に切り出した。
「ちょっと、相談があるんだけど」……。病気のことを伝え、「してないとやばいんだよ。死んじゃうからさ」と、マスクをしている理由も話した。
社長は、驚きながらも事態を理解し、受け入れてくれた。わたしは最後に、社長にこう告げた。
「俺、もうバスケ辞めるわ」
飛行機の中から見えた景色は、いつもとは違って見えた。
(『99%が後悔でも。』折茂武彦・著より再構成)