2019年5月20日、ジャイアンツで約21年にわたる現役生活を終えた上原浩治。数々の記憶に残るピッチングと、「雑草魂」と呼ばれた生き方は多くのファンの心を打った。
特筆すべきはMAX89マイル(143キロ)と言われた直球で、日米の強打者をなぎ倒してきたことだ。なぜ「速くないストレート」で勝てたのか?
上原浩治の引退までを綴った新刊『OVER 結果と向き合う勇気』より紹介する。
数字で勝負しない、という方法
ピッチングにおいて数字はどのくらい重要だろうか。
第1章で引退までを振り返ったとき、何度も「球速」について書いた(注)。くどかったかもしれないが、僕自身の野球人生で、そのくらい「球速」について考えることは多かった。
球速で勝負しない。
それが僕のスタイルだったのだ。
メジャーでも僕のストレートは「遅い」と指摘され続け、ついにはなぜあんなに遅いのに打たれないのか? ということが話題になったりもした。
その理由をデータ的に解析した記事なども目にしたことがあるが、実際のところ僕が意識していたのは、「球速で勝負はしないけど、バッターに速いと感じさせる」ということだった。
その点で言えば、引退を決めた最後の年は、スピードガンだけではなく、バッターに速いと感じさせることができていなかったから、「スピードがない」という指摘は、当然だったといまになって思える。140キロくらいは出たかな、と思ったら135キロしか出ていない、ということが何度もあっただけでなく、初めて対戦するバッターにいとも簡単に打ち返された。それはつまり、バッターが僕のボールを脅威と感じていない証拠だった。
(注:2019年シーズン、球速アップを指摘され葛藤した日々を本書のなかで綴っている)
バッターがどう感じるかがすべて
ただ、この「数字ではない」ことは軽視されている傾向にあると思う(というより、数字が重視されすぎている、と言えるのかもしれない)。
ピッチャーにおける数字は球速以外にもあって、球種もそのひとつだ。何種類もの球種があることは、確かにピッチャーにとってアドバンテージだと思う。しかし、だからと言って勝てるわけではない(僕の球種が基本的にストレートとフォークの2種類だったことは書いてきたとおりだ)。
幸か不幸か「数字(球速や球種)」で勝負できなかった僕は、バッターがどう感じるか、ということを常に想像しながらピッチングをしていた。「相手(=バッター)」の存在こそが大事だったわけだ。
つまり、いくらスピード表示が速くとも、「相手」がそれを感じていなかったら意味がないし、何種類も球種があっても「相手」にわかっていれば意味がない。鋭く曲がる変化球、それも「相手」がそう思わなければ、役に立たない。
数字にとらわれると、こうした「相手」がおろそかになっていく。みんなが数字を目指すようになり、同じようなタイプの選手が増えていってしまう。
「相手=バッター」がどう感じるか。
僕の長所として言われたテンポが速いことも、メンタルも同じだ。「相手」が打ちやすいテンポであれば、それはストロングポイントにならないし、メンタルで負けてたまるかと思って投げた球がただ力んでいるだけでは駄目だ。
相手にとって打ちにくいテンポ。それが僕の場合、人より速かった。
絶対に打たれてたまるかというメンタリティ。相手に勝つために必要な勇気としてそれが必要だった。
バッターがいて、ピッチャーがいる。
この視点があれば、数字で勝負できない選手たちもまだまだ伸びしろがあると思っている。
(『OVER 結果と向き合う勇気』上原浩治・著より再構成)