写真:杉田裕一

 2019年5月20日、ジャイアンツで約21年にわたる現役生活を終えた上原浩治。数々の記憶に残るピッチングと、「雑草魂」と呼ばれた生き方は多くのファンの心を打った。
 ピッチングスタイルを築くために必要だったことを上原は「自分を知ること」と言った。では、自分を知るためにはどうすればいいのか。
上原浩治の引退までを綴った新刊『OVER 結果と向き合う勇気』より紹介する。

1年目の20勝に感じた危機感

「自分を知る」ために重要だと思うのが、人に聞く、他人を知るということである。

 これまで多くの先輩や指導者に出会ってきて、そこでいただいた金言が自分の支えになってきた。引退前後で気にかけてくれた原(辰徳/現読売ジャイアンツ監督)さん、村田(真一)さん、斎藤(雅樹)さんの言葉など、数えればきりがない。

 その中でも「自分を知る」きっかけをくれたのが工藤(公康/現福岡ソフトバンクホークス監督)さんの存在だった。

 プロに入団してすぐの1年目、僕は自分で想像すらできない結果を出すことができた。正直に言って、20勝は出来過ぎで、まさかタイトルを獲れるなんて思ってもいなかった(それも、主要4タイトルを含めた8タイトルも……)。

 だから、1年目が終わっても、「自分について確固たる何かを知れていた」わけではない。むしろ、レベルアップをしていく必要性を感じていた。

 何を磨けばいいのか?
 これから生き残っていくためには?
 将来メジャーでプレーするためにはどうすればいい……? 

 僕が出した答えは「球種を増やす」だった。

工藤さんに尋ねた球種の増やし方

 ジャイアンツ入団当時、大学時代から決め球のひとつになっていたスライダーを中心に、ストレート、フォークの3種類の球種を持っていたのだが、ここにもうひとつ球種が必要だというイメージがあったわけだ(メジャー以降の僕を知る人は、きっと「(遅い)ストレート」と「フォーク」――スプリットという人もいるが――の2種類で戦ってきたイメージがあるだろう。他にカット系のボールやカーブもときどき投げたが、決め球として使うことはほとんどなかった。スライダーに関してはもはや、どうやって投げていたかも思い出せない)。

 そんな折(僕のプロ入り2年目にあたる2000年)に、工藤さんがジャイアンツに移籍してきた。優勝請負人と言われ、162勝を挙げた19年目(いずれも当時の数字だ)の大先輩であり大投手。

 もっと言うと、小学生時代に憧れた選手だ(なんせこのときで19年目なのだから・・・、そしてこのあと工藤さんはもう11年、現役でプレーすることになる)。

 工藤さんに「球種を増やしたい」と相談をしに行った。すると工藤さんは、はっきりと言った。

「球種を増やすのではなく、いま、持っている球を磨け」

 目から鱗(うろこ)だった。そして、これが僕に合っていたのだ。

 以降も、工藤さんから何か盗めることがないかと、練習での一挙手一投足を追った。工藤さんがブルペンに入る、と聞けば、ブルペンに飛んで行った。工藤さんが投げているマウンドの横で、正座をして股関節や、着地の場所を見続けた。

 質問をすることもたくさんあった。

 例えば、ピッチング時に踏み出す足が、なぜ毎回同じところに着地するのか。工藤さんの足をずっと追っていると、着地がいつもびたっと同じところなのだ。

 そして、カーブとストレートのフォームが変わらないのはなぜか。工藤さんといえば、カーブが代名詞だけど、あれだけ緩いボールなのに、腕の振りが緩むことがない。

 聞きたかったことはたくさんあった。気になることがあれば、なんだって聞いた。

知りたいことは、誰にでも聞く

「OVER 結果と向き合う勇気」上原浩治・著

 他にも、桑田(真澄)さんなど先輩ピッチャーから話を聞かせてもらったし、カブス時代にはダルビッシュ有にも教えを請うた。

 ダルのカットボールは僕のカットボールに比べて質が高く、メジャーのバッターですら打ちあぐねている印象だった。その秘密を少しでも知りたい、と思い握り方や、リリースのときの感覚、そして外から見たフォーム・・・と、ダルを知ろうと努めた。

 そうやって、人を見る、知ると、必ず自分と比較するようになる。

 すると、自分と違うところ、同じところ・・・さまざまなものが見えてくる。教えてもらったことが身になったことはもちろんのこと、「自分を知る」ための大きなヒントになった。

OVER 結果と向き合う勇気上原浩治・著より再構成)