本コンテンツ「拝啓、小説を書いてみませんか」では、2025年1月より「小説創作ゼミナール」を開講します。創作力を鍛える課題、創作論を語る動画の2本立てで、作品を書き上げるための執筆力が高まる内容をお届けします。

 普段、大学講師として創作論のゼミを受け持つ額賀澪さん。大学のゼミでは、どんなことを行っているのか、またどんな学生たちが在籍しているのでしょうか。「小説創作ゼミナール」の開講にあたり、日本大学芸術学部文芸学科で額賀さんが担当する文芸創作論の様子をリポートしていただきました。

創作って学ぶものじゃないでしょ? とは言うけれど

 今からおよそ15年前の3月、18歳の私は期待に胸を膨らませながら地元を出た。

 生まれてはじめての一人暮らしをした街は、埼玉県所沢市。日本大学芸術学部に進学するためだった。

 私が入学したのは文芸学科というところで、文学部とも違い、芸術学部にあるものの絵を描いたり楽器を弾いたりするわけでもなく、なかなか一言で説明しづらい地味な学科だった。

 私は人様に説明する際、「文学は文学でも創作に重きを置いた学科」と話すようにしている。事実、私も大学4年間をひたすら小説を書くことに費やした。

 文芸学科で学生時代を過ごし、卒業後二年ほど会社員をやって、小説家デビューをした。もうすぐ作家生活も10周年を迎えようとしている。

「創作って学ぶものじゃないでしょ?」

「小説を学ぶって意味わかんないわー」

 などと同業者に言われることも多々あるが、それでも私は、文芸学科に進学しなかったら小説家デビューはできなかったと思っている。

 もしくは、できたとしてももっと時間がかかっただろうし、今のような順調な作家生活は送れなかったはずだ。

創作の悩みは、手を動かすことでしか解決しない

 そんな母校で、私はかれこれ5年ほど非常勤講師として働いている。大学で研究を行う研究者教員としてではなく、実務経験を活かした学びを提供する実務家教員として。

 受け持っているゼミで指導しているのは、もちろん創作だ。学内向けのシラバスには「とにかく小説を書きたい学生向けの創作ワークショップ」と書いている。

 授業では、ひたすら書く。

 毎週お題を出して、短い小説を書く。夏休みや冬休みには2万字(原稿用紙50枚程度)の小説を書く。授業当日は提出された作品を、全員で合評する。4月の授業スタートから翌年の1月まで、見事な締め切り地獄の1年間となる。

 最初はやる気満々で「全部の課題をやり切ってみせます」と言っていた学生も、アルバイトやサークル活動で忙しくなったり、気分が落ち込んで創作どころじゃなくなったり、出来の悪い作品を提出する勇気がなかったりで、ぽろぽろと課題を出せなくなる。「書き続けるって大変なんですね……」と毎年のように学生達はぼやいている。

 こういうスタイルのゼミを開講しようと思ったのは、「創作に関する悩みは、結局は手を動かすことでしか解決しない」と私自身が思っているからだ。

 もっと言ってしまえば、「小説が上手く書けない」という悩みの原因のほとんどは、「書いてないこと」だと思っているからである。

 ちなみにこんな担当教員のことを、学生達は「脳筋」とよく言う。

精神論も大事だけれど

 これは私自身が大学で文芸創作を学んでつくづく感じたことなのだが、創作の指導はどうしたって精神論や抽象的な話になりがちで、最終的に学ぶ側の努力とポテンシャル頼みになってしまう。

「この山に3日間こもって最高の食材を見つけてこい!」みたいな授業をして、いい食材を捕まえたり収穫したりする方法や、肝心の食材を美味しく調理する方法を教えない……ということが本当に多いのだ。

 もちろん、そういう学びの経験が不要だとは思わない。

 要はバランスの問題だ。精神論も大事だけれど、授業が終わってすぐに自分の作品に反映させられるような創作テクニックやハウツーだって、同じくらい大事だ。

 二つの車輪がいい塩梅で回転することで、その物書きは上手いこと前進できるのだ。

 どんな面白いアイデアも、魅力的な登場人物も、ハラハラドキドキのストーリー展開も、作者の頭の中にあるだけでは意味がない。赤の他人にしっかり面白く伝わる文章としてアウトプットされなければ、「小説」というメディアは成立しない。

 テクニックは教員の講義を聞いて「ふむふむ、なるほど」と頷いたところで何の意味もなく(むしろ、賢くなったという実感を得てしまう分、危険だとすら思う)、小説を書き始めて、なんとか書き終える、という経験の繰り返しでしか身につかない――というのが、私の持論だ。

 これはスポーツとよく似ている。どれだけ戦術を学び、ノウハウを頭に叩き込んだって、試合で実践できなかったら意味がない。

 精神論も創作論もテクニックも、自分の作品の中で使いこなしてはじめて意味を持つのだ。

 書き出しが上手く書けなかった、わかりやすい会話シーンにできなかった、主人公がありきたりな人物になってしまった、途中までは面白かったはずなのに物語の〆を失敗した……試行錯誤を繰り返し、手を動かすことでテクニックはその人のものになっていく。

 小説を書くことが当たり前になって、ある程度ボリュームのある作品を書くことにも抵抗がなくなり、自信のない作品だろうとひとまず人目に晒してみるという潔さも身についていく。全員がというわけではないが、ゼミの教え子を見ていると、それをつくづく実感する。

何事も、常に下の世代へ

 数年前、母校の教員からの「大学で教えてみない?」という打診を快諾したのは、自分が母校で学んだことが今につながっている実感があるからだった。

 それに、学生時代にお世話になった先生に、よくこんな話をされた。

「上の世代から学んだことや、奢ってもらった飯や酒をありがたいと思うなら、恩はその人へ返すのではなく、下の世代へ受け継いでいくこと。何事も、常に下の世代へ、だ」

 この言葉が、未だに私の中に残っているのである。

 私は「小説を書く」という行為を大学で学んで、そのおかげで運よく作家デビューをして、大学での学びの蓄積が上手いこと活きて、10年間作家をやってこられたと思っている。その恩は、やはり下の世代につないでいきたいなと思うのだ。

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