ランニングホームランに雄たけびを上げる鈴木誠也。写真:John Fisher / 特派員

 毎月、鈴木誠也本人が「打撃論」や近況、メジャーの特徴などを分析する本コンテンツ。今回は、鈴木を入団当時から取材し続けたスポーツライター・前原淳氏が、アメリカにわたり直撃取材をした様子をご紹介します。

 打撃論で紹介する「試行錯誤」を踏まえ、取材を敢行しようとアメリカ入りした直後、IL入りする不運に見舞われた。

 それでも長年の取材歴から、チームに帯同しトレーニングする鈴木の行動、言葉からメジャーで活躍する「予感」を感じ取る。その理由は?

執筆:前原淳


鈴木誠也は「僕は変わらないですよ」と言う

 屈強な体軀の選手が集うグラウンドに、見慣れた笑顔があった。6月中旬、まだ故障者リスト入りしていたカブス鈴木誠也との再会を果たした。

「ようこそシカゴへ」

 戦列を離れた悔しさを胸にしまい、迎えてくれた。復帰へ向けたリハビリと強化に取り組みながらも、持ち前の明るさは健在。「僕は何も変わっていませんよ」と落ち込んでいる様子を感じさせなかった。

「僕は何も変わっていない」――そう言ったが「僕以外」に変わったものはたくさんある。

 テレビで見ていた4月のシカゴはまだ真冬のようだった。打席の鈴木はネックウオーマーを着用し、1球ごと両手に息を吹きかけている。

 わずか2カ月で季節は変わり、再会の日、気温は36度まで上がっていた。

「クソ寒いか、クソ暑いか。ちょうどいいなと思う日はなくもないけど、少ない」

 鈴木自身も新天地の天候に苦笑いするほど。

 もちろん変化は天候だけではない。

 広島からポスティングシステムで米大リーグ・カブスに移籍した。労使交渉による影響で、キャンプインから突貫調整で開幕を迎えた。

 日本時代にはない連戦続きの日程。ナイター後の移動や時差が生じるほどの移動距離。投手の平均球速が格段に上がった。

 コンディション維持だけでなく、新しい環境や習慣に戸惑いながらも過ごしている。

 日本でメジャーリーグの試合をテレビで見たり、ネットやテレビで試合結果を確認したりするだけでは試合中の情報しか得られない。だから、日本のプロ野球から米大リーグへの移籍だけでなく、異国の地で生活することもまた挑戦といえる。

「パソコンが急に知らない言語で表記されたようなもの。それくらいこっちでの日々は違う。中身は基本的に変わらないんだけど、慣れるまでに時間かかる。今、そんな感じなんです。いつかは慣れると思うんですが、それが速いか遅いかの違い」

 独特な表現でメジャー1年目の「変化」を表現した。

変わったけれど、変わらない鈴木誠也

 こうしたアメリカの生活や習慣に慣れることは、野球のパフォーマンスにも影響する。

 鈴木は移籍先を探す上でも家族の住環境を条件に入れるなど、野球に集中できる環境を何より求めていた。有限である体力や思考力を可能な限り野球に注ぎたい。そう考えるタイプだ。

 結果として、ふつう「変わっていくもの」がまったく変わらないことがある。

 例えば、今回のアメリカ出張で見た鈴木誠也は、英語力が驚くほど上達した……ようには感じられなかった。

 現地で英語で長い会話をする光景は見てとれなかった。それをぶつけると、「困ったら、Merry Christmasって言ってます」と笑い飛ばす。...