最強なのに、NO.1を取れなかった謎の男、ジャンボ鶴田。彼の本質に迫る重厚なノンフィクションがSYNCHRONOUS(シンクロナス)でスタート!
プロレスライターの小佐野景浩氏が、自身の著書『永遠の最強王者ジャンボ鶴田』(ワニブックス)に大幅加筆をしてお届けする、プロレスファン必見のシリーズ連載です!
また「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」完全版のスタートに先駆け、書籍版「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」第1章、第2章、さらに著者・小佐野景浩が「完全版」スタートを記念して書き下ろした「藤波辰爾にとってのジャンボ鶴田」(※7月5日配信)を無料で配信。こちらもお楽しみください。
今回は、ジャンボ鶴田が、プロレスに出会う前に経験した別のスポーツの話。
前半は、五輪出場を目指すきっかけになったスポーツについて、後半は高校時代に才能を魅せた球技について、それぞれ鶴田のご兄弟と同級生の方に話を伺う。
スポーツ遍歴から見えてくる、ジャンボ鶴田「最強の原点」とは?
【プロレス好き必見!!】“最強王者”の実像に迫る
49歳の若さで急逝した怪物「ジャンボ鶴田」を描いた傑作ベストセラー『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)を大幅加筆。いまだ根強い「ジャンボ鶴田〝最強説〟」と、権力に背を向けた彼の人間像に迫る!さらにレスラー、関係者を招き「ジャンボ鶴田」を語り尽くす対談動画も配信予定!初回のゲストは「スタン・ハンセン」!
朝日山部屋入門事件
64年、鶴田は中学2年生の夏に大相撲の朝日山部屋に入門させられた。本人の意思ではなく、相撲好きの親戚に連れられて東京見物に行った時に体験入門させられ、自覚のないまま新弟子検査に合格してしまったから、「した」ではなく「させられた」なのだ。
結局、鶴田は決心がつかずに夏休みが終わると、故郷に戻った。そのあたりの事情について兄・鶴田恒良はこう語る。
「本人は〝ちょっと夏休みに……〞ってことだったんじゃないかなと思うんだけど、新弟子検査に受かっちゃうと、なかなか辞めさせてくれなくて、それで叔父の甲斐錦に頼んで、間に入って話をしてもらって、帰してもらえたんです」
叔父の甲斐錦は父・林の弟で、17歳の時に松ヶ根部屋に入門。38年5月場所で初土俵を踏み、50年1月場所から二所ノ関部屋に移って最高位は西前頭12枚目だった。鶴田が生まれた2か月後の51年5月場所後に30歳で引退している。
もし、この時、鶴田が朝日山部屋に入門していたとしたら、のちに全日本プロレスで一緒になるサムソン・クツワダ( 四股名は二瀬海)の弟弟子になっていたし、二所ノ関部屋からはこの年の1月場所で天龍源一郎が初土俵を踏んでいるから、相撲で鶴龍対決が実現していたかもしれない。
あるいは鶴田が本当に相撲志望で叔父の甲斐錦を通して入門を希望すれば、二所ノ関部屋所属になっていたはず。そうなると鶴田は天龍の弟弟子になっていたわけだ。
さて、朝日山部屋入門を固辞して牧丘町に戻った鶴田を待っていたのは周囲の冷たい目だった。「相撲の稽古が辛くて逃げ帰ってきたらしい」「身体は大きくても根性なしだ」と、陰口を叩かれて、鶴田は憂鬱な日々を過ごしていた。
そんな鶴田の希望の光になったのは、10月に開催された東京オリンピック。
10月10日、テレビに映し出された開会式の赤いブレザーを身に着けた日本代表選手団の入場行進に釘付けになったという。
「オリンピックに出て、陰口を叩いていた人間を見返してやる!」
相撲部屋事件の汚名を返上したかった鶴田に、オリンピック出場という新たな目標が生まれた。それが高校、大学でのバスケットボールにつながり、最終的にプロレスに到達することになるのだ。
日川高校バスケットボール部時代
鶴田の生家とは反対方向の塩山駅南口からタクシーで6〜7分、2㎞ほど行ったところに『一歩』という居酒屋がある。大将の池田実は、山梨県立日川高等学校バスケットボール部で鶴田と同期だった。
牧丘第二中学校を卒業した鶴田は66年4月、県下では大学進学率が高く、ラグビーや野球などのスポーツの名門校でもある日川高校に入学した。
まず野球部に入部し、それからバスケットボール部に移ったことになっているが、池田の話によると違う。
「ツルが牧丘、私が塩山(現在の甲州市)……中学の頃から知っていました。ここら辺のバスケットボールの地区大会があって、中学3年の時に試合で戦ったんです。〝えらい大きいのがいるなあ〞と。見上げてビックリしましたけどね。その頃、もう190センチ近かったと思います。足が大きすぎて靴がないんですよ。 だからバスケットのシューズじゃなくて万年草履でやってたと思いますよ。下手すると、裸足でやっていたかもしれない。そこら辺の記憶は定かじゃないです。で、高校で一緒になって。ツルは最初、野球部じゃなくてバスケットボール部でしたよ。でも私たちが1年生の時に甲府出身の堀内恒夫がプロに入って。それでツルは野球がやりたくなって、野球部に行っちゃったんですよ」
池田は鶴田を〝ツル〞という愛称で呼ぶ。
「トモミちゃん(鶴田の本名は友美)って呼ぶと怒るわけ。女の子みたいだから(笑)。だから、怒らせようと思う時はトモミちゃんって呼んでましたよ。怒ってもね、私たちのほうがすばしっこいから逃げちゃうんだけど」と、池田は笑う。
堀内は65年〜73年の読売ジャイアンツV9時代の大エース。山梨県甲府で鶴田と同じように養蚕業を営む家に生まれ、甲府商業高校でエースとして活躍し、
65年の第1回ドラフト会議で1位指名を受けてジャイアンツに入団した。
鶴田の高校進学と同時期にプロデビューして開幕13連勝を含む16勝を挙げ、沢村賞、新人賞などを獲得した堀内は、地元・山梨が生んだヒーロー。鶴田少年が憧れるのは当然だろう。いや、鶴田だけでなく、山梨県の小中高生がみんな憧れたから、どこの野球部にも新入部員が殺到した。
しかし、鶴田の野球は半年も続かなかった。
「野球もやりたかったらしいけど〝目を悪くしたから、小さいボールだと見づらい〞ってことで……本人は〝勉強のしすぎだ〞なんて言ってたけど、本当かどうかはわからないなあ(笑)」と、兄の恒良。
一方、池田は野球をやめた理由をこう語る。
「ツルの動きはゆっくりなようで速いんだけど、やっぱり野球は機敏なことができないとね。あとは……バスケットは上級生の体罰とか、しごきがなかったんですよ。口では言いますけど、殴ったりということはなかったんです。昔は、他の部はそういうことがあったんですけど、でもバスケットだけは暴力がなかったんですよ。そういうことで野球部が嫌になっちゃったんじゃないかと思いますね。それでやっぱり〝バスケットに戻ってこい〞ってことになったんだと思います」
1年生で192㎝の長身だった鶴田をバスケットボール部が放っておくわけがない。
〝生活筋肉〞が鍛えられているから、競技に必要な基礎体力もすでに備わっていた。
そして日本体育大学、東京教育大学(78年に閉学となり、筑波大学の母体となる)から来ていたコーチに基礎から大学レベルの高度なトレーニングを指導されて頭角を現した。
「1年の時に秋田、2年の時が石川県の兼六園、3年の時が広島。インターハイには3年間ずっと出場しました。1年生の時は人数制限がありましたから、ツルと私ともうひとり……3人ぐらいしか行けなかったのかな? インターハイは8月だから、もしかしたらツルはまだ野球部にいて、出てなかったかもしれないな。その辺の記憶は曖昧ですね」
インターハイに3年連続で出場したかどうかはともかく、鶴田がすぐにバスケットボール部の要になったことは間違いない。
「バスケの選手としては日川高校の大黒柱で、得点の半分以上はツルのシュートですからね。やっぱりタッパ(背の高さ)が全然違いましたからね。それで、少なくとも2年の最初からずっと試合に出っ放しでしたね。抜群に才能があるというわけじゃないですけど、それでも桁違いのものがありましたよ。ダンクシュートも3年生のインターハイの時にはやっていましたよ」
池田は鶴田のバスケットボール選手としての資質をそう語る。
在学していた3年間、日川高校は山梨県で不敗の強さを誇り、鶴田は3年生の時はインターハイで旗手も務めた。
「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」完全版(7月20日定期購読開始)
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▶『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』の登場人物
秋山準、アニマル浜口、池田実(山梨県立日川高校バスケットボール部同級生)、磯貝頼秀(ミュンヘン五輪フリースタイル100㎏以上級代表)、梅垣進(日本テレビ・全日本プロレス中継ディレクター)、鎌田誠(中央大学レスリング部主将・同期生)、川田利明、菊地毅、ケンドー・ナガサキ、小橋建太、ザ・グレート・カブキ、佐藤昭雄、ジャイアント馬場、新間寿(新日本プロレス取締役営業本部長)、スタン・ハンセン、タイガー戸口、タイガー服部、田上明、長州力、鶴田恒良(実兄)、テリー・ファンク、天龍源一郎、ドリー・ファンク・ジュニア、原章(日本テレビ・全日本プロレス中継プロデューサー)、藤波辰爾、渕正信、森岡理右(筑波大学教授)、谷津嘉章、和田京平
※50音順。肩書は当時。
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元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩によるベストセラー『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)を大幅に加筆し、ジャンボ鶴田の実像を描くシリーズ。小佐野氏が記事、動画、Live配信を毎月配信していく。
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