元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

長きにわたった連載の締め括りは、ジャンボ鶴田とジャイアント馬場の最終的な師弟関係、そして引退後の鶴田の生きるための病魔との最後の闘いに迫る。治療のためにアメリカから極秘帰国、そこからオーストラリア、フィリピン…生への旅路の果てに力尽きた鶴田は伝説になった――。

次回「エピローグ」を配信いたします。

 

恩讐の果てに…馬場と鶴田の最終的な関係は

99年3月10日、新たな夢の実現のために渡米した鶴田だったが…

 1999年1月31日にジャイアント馬場が亡くなり、3月6日にジャンボ鶴田が引退。確実に全日本プロレスはひとつの時代の終わりを告げた。全日本旗揚げ時のメンバーはもちろん、鶴田が日本デビューを果たした73年10月時点のメンバーでさえ、現役はひとりもいなくなってしまったのだ。

 その当時も、そして今現在も、私には大きな疑問がある。果たして馬場と鶴田は最終的にどういう関係だったのかということだ。

 私は取材をしていて、鶴田は常に馬場と一定の距離を取っていることを感じていた。社長の馬場は、選手たちにとっては近寄りがたい存在だったのは確かだが、鶴田の場合は全日本の黎明期からの師弟関係にもかかわらず、何か他人行儀なのだ。

 馬場にしても鶴田に一目置きつつも、明らかに天龍源一郎に信頼を寄せていて、大事なことは天龍に相談していたし、天龍もまた自然体で馬場に接していた。...