元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回は退院後の変化について。病気と向き合いながらリングに上がり続けたジャンボ鶴田の雄姿を当時の貴重な写真とともにお届けする。

 

受け入れた“楽しいプロレス”へのシフトチェンジ

 1992年10月31日から翌93年6月20日まで約8ヵ月間、B型肝炎と戦ったジャンボ鶴田は退院から3ヵ月後の9月24日、後楽園ホールにおける『93ファン感謝祭』に来場して11ヵ月ぶりにリングに上がった。

 この日は挨拶だけだったが「オーッ!」の10連発で観客を喜ばせ、「僕はプロレスの世界に入ってきた時に“就職します”と言って、軽く取られたかもしれないけど、やっぱり僕はプロレスが大好きなんですね。本当に全日本プロレスのファンと、全日本プロレスが大好きなんですね。だからもう1回ね、このマットに帰ってきて試合がしたいと。いきなりメインとかは難しいですけど、もうちょっとですので、それまで……もし待っていただけるんでしたら、待っていてください」と、復帰を誓った。

 自宅での療養生活に入った鶴田は『B型肝炎 治った 驚いた この方法』などの著書がある茅ヶ崎市立病院の野村喜重郎(のちに野村消化器内科院長=2020年10月7日に死去)を訪ね、新たなライフスタイルを確立するためのアドバイスを貰い、また毎月1回、定期検査を受けるようになった。

 体調は上向いたが、野村に「試合は疲れるほどやってはいけない。シングルマッチは駄目。タッグマッチのみ。肝臓と脾臓が破裂する恐れがあるので、キックなどの打撃技は徹底的に避けてほしい」と告げられたという。

 入院していた昭和大学病院からも退院する時に「長生きしたかったら、プロレスは辞めてください」と言われていた。

 復帰に向けての話し合いでジャイアント馬場は鶴田にこう言った。

「自分が寂しくないなら、第一線を退いてもいい。命の方が大事だからな。でも、どうしてもプロレスを続けたいなら、自分の出たい時に声を掛けてくれ。そうしたらカードを組むから。体は正直だよ。ジャンボ、メインにこだわらないでゆっくりいこう」

 鶴田は“楽しいプロレス”へのシフトチェンジを受け入れた。

退院から3ヵ月後の9・24後楽園で復帰の挨拶

367日ぶりに復帰!地方試合にもトライ

 復帰戦は10月23日の日本武道館の第4試合。馬場&鶴田&ラッシャー木村vs渕正信&永源遙&泉田竜角の6人タッグマッチ30分1本勝負。ファミリー軍団vs悪役商会の“楽しいプロレス”に組み入れられたのである。...