元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
今回は大学講師就任、講演活動、家の建て方...プロレス界に影響を与えたジャンボ鶴田の生き方について。そして渕正信、田上明、川田利明ら後輩レスラーの目に映った晩年の鶴田の実像とは。
筑波大学大学院を卒業!第2の人生は大学講師に
B型肝炎により1993年から第一線からの撤退を受け入れたジャンボ鶴田は、新たな道を見つける。
昭和大学病院に入院していた時に元女子プロゴルファーの桝井芙佐子が筑波大学大学院体育研究科でコーチ学を学んでいるという記事をゴルフ雑誌で読み、ずっと興味を持っていたというが、プロレス活動がスポット参戦になったことで、自分も大学院に進んでコーチ学を勉強しようと思い立ったのである。
鶴田の弟分的存在だった渕正信は「鶴田さんは会社の負担になっていると感じていたみたいだし、世話になるんじゃなくて自立したかったんだと思うよ。で、大学院に行って新たな道を見つけて、側面から全日本をバックアップできればという計画があったと思うな」と振り返る。
94年10月18日、筑波大学大学院修士課程体育研究科コーチ学の社会人特別選抜枠を受験し、10日後の28日に合否の発表。果たして鶴田の名前は掲示された合格者名簿にあった。そして翌95年4月6日に入学。鶴田は44歳にして大学院生になったのである。...