最強なのに、NO.1を取れなかった謎の男、ジャンボ鶴田。彼の本質に迫る重厚なノンフィクションがSYNCHRONOUS(シンクロナス)でスタート!
プロレスライターの小佐野景浩氏が、自身の著書『永遠の最強王者ジャンボ鶴田』(ワニブックス)に大幅加筆をしてお届けする、プロレスファン必見のシリーズ連載です!
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山梨県立日川高等学校バスケットボール部で活躍していたジャンボ鶴田。
今回は後の「最強王者」につながる高校時代の学校生活に焦点を当てる。
ジャンボ鶴田が説いた生活筋肉〞を鍛えた通学、同級生が語る、高校時代の青年鶴田の素顔とは?
怪物の実像に迫る!
【プロレス好き必見!!】“最強王者”の実像に迫る
49歳の若さで急逝した怪物「ジャンボ鶴田」を描いた傑作ベストセラー『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)を大幅加筆。いまだ根強い「ジャンボ鶴田〝最強説〟」と、権力に背を向けた彼の人間像に迫る!さらにレスラー、関係者を招き「ジャンボ鶴田」を語り尽くす対談動画も配信!初回ゲストは「スタン・ハンセン氏との対談はこちら!
〝生活筋肉〞を鍛えた往復3時間の通学
好奇心旺盛でさまざまなスポーツに意欲的に取り組んでいた鶴田は、体育の授業ではラグビーに熱中した。
スクラムに加わり、キックオフやラインアウトなどで長身を活かして高いボールをキャッチし、大きな身体で突進するロックとして活躍。
ラグビー部にも何度も勧誘されたそうで、当時のラグビー部の同学年には、のちにサッカー選手になり、ジェフユナイテッド市原、大宮アルディージャの監督を務めた塩山出身の清雲栄純がいた。
その他、3年生の時には山梨県内の相撲大会(高校生の部)に駆り出され、1週間練習しただけで3位になった。
中学2年生の夏に朝日山部屋で稽古したことが思わぬところで活きたのである。
「バスケットボールではボディバランス、素早い身のこなし、持久力とジャンプ力を身に付けられた。一瞬の閃ひらめきで試合を構成する力もプロレスラーになってから役立った。ラグビーの経験はレスリングに活かせた。ラグビーのタックルの入り方、相手の動きの読み方がレスリングのタックルにも応用できた」と、鶴田は後年になって複数のスポーツを並行してやることの重要性を語っている。
小学校の時と同じように日川高校での通学でも〝生活筋肉〞を鍛えた。家から高校までの距離は約11㎞で高低差は実に230mもある。行きは下りだから1時間だが、帰りは上りのために2時間かかる。それを3年間毎日、3時間かけて往復していたのだ。
一緒に自転車通学をしていた、バスケットボール部の同期・池田実は言う。
「私は山梨市駅から自転車だから通学にかかったのは20分ぐらいだけど、ツルの場合はそれにプラスして、牧丘から山梨市駅までの距離があったから大変だったと思いますよ。それで日川高校から山梨市駅の中間ぐらいにツルの親戚がやっている食堂があったんですよ。山梨市駅までは一緒だから、そこに寄ってご飯を一緒に食べてました。私もけっこう食べましたけど、ツルはその倍は食べましたよ。弁当にしてもツルのは特注のデカいやつでしたね」
知られざる高校時代の素顔
日川高校は男女共学。長身でバスケットボール部のエースだった鶴田はさぞかしモテたのではないかと思うのだが、どうだったのだろうか?
「いやあ、それはちょっと(苦笑)。モテなかったですよ、規格外の大きさだから。ツルがモテ始めたのはプロレスに入ってアメリカに行ってからじゃないですかね。それで、どっちかというと向こうの人にモテちゃったんじゃないですかね。それで自信を付けちゃったんですよ、きっと(笑)」
プロレスラーにとって長身は大きな武器だが、思春期の鶴田にとっては大きいことがコンプレックスだったようだ。
「やっぱり大きすぎるという劣等感があったんですよ。ホントに嫌がってましたよ。そりゃあ、目立ちますよね。あれだけ目立てば注目の的ですよ。みんな好奇の目で見ますわ、あの頃は。常に人から見られていたらかなわないですよ。それから、ちょっと吃音があるというのもあったんですよ。なかなか上手くしゃべれなかったんですよね。仲良くなってしまえば大丈夫なんですけど、親しくなるまで、ちょっとナイーブというか」
そんな鶴田が、池田と同様に心を許していたのが武井美男という同級生だ。
武井は日川高校から明治大学に進学すると相撲部のキャプテンを務めた。
卒業後は明治大学付属中野中学校・高等学校の教員になって、相撲部の監督として若乃花勝(現・花田虎上)、貴乃花光司の兄弟横綱など、多くの力士を育てた人物である。
「タケ(武井の愛称)は体重が100キロ以上。背も180ぐらいありました。ツルとタケのふたりは特注のイスと机を学校に作ってもらったんですよ。それでなきゃ座れなかったから。そういう面でね、ツルもタケがいたことで癒されたかもしれないですね(笑)」
スポーツに励み、勉強にも勤しんだという高校時代の鶴田。
もうひとつハマっていたのが高校1年の6月に初来日して爆発的人気を呼んだザ・ビートルズだったという。
「高校2年のバスケ部の合宿の時にね、余興なんかやるんだけど、ビートルズの歌なんか歌い出しやがってね。ビックリしましたよね(笑)。私なんかはツルの影響を受けてビートルズを知ったぐらいだから。どっちかというと塩山より田舎の牧丘の奴がビートルズの英語の歌を歌ったらビックリしますよ(笑)」
池田の話を聞いていると、スポーツ万能で、繊細な心の持ち主で……その一方では堀内ブームになれば野球を始め、ビートルズが来日すればハマってしまうミーハーの面もある微笑ましい高校生・鶴田友美の姿が浮かんでくる。
68年10月、3年生の秋に心に留まることがあった。メキシコ五輪に同学年の習志野高校の磯貝頼秀がレスリング97㎏以上級代表として出場したのだ。
「よし、俺も次のミュンヘン五輪に出場するぞ!」
オリンピック出場という中学3年からの夢に再び火がついたのである。そして4年後、鶴田は磯貝と五輪出場を懸けて戦うことになるーー。
「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」完全版(7月20日定期購読開始)
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▶『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』の登場人物
秋山準、アニマル浜口、池田実(山梨県立日川高校バスケットボール部同級生)、磯貝頼秀(ミュンヘン五輪フリースタイル100㎏以上級代表)、梅垣進(日本テレビ・全日本プロレス中継ディレクター)、鎌田誠(中央大学レスリング部主将・同期生)、川田利明、菊地毅、ケンドー・ナガサキ、小橋建太、ザ・グレート・カブキ、佐藤昭雄、ジャイアント馬場、新間寿(新日本プロレス取締役営業本部長)、スタン・ハンセン、タイガー戸口、タイガー服部、田上明、長州力、鶴田恒良(実兄)、テリー・ファンク、天龍源一郎、ドリー・ファンク・ジュニア、原章(日本テレビ・全日本プロレス中継プロデューサー)、藤波辰爾、渕正信、森岡理右(筑波大学教授)、谷津嘉章、和田京平
※50音順。肩書は当時。
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元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩によるベストセラー『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)を大幅に加筆し、ジャンボ鶴田の実像を描くシリーズ。小佐野氏が記事、動画、Live配信を毎月配信していく。
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