伝授された名レスラーたちの技術
1973年3月、テキサス州アマリロに修行にやってきた鶴田友美をドリー・ファンク・ジュニアがほぼマンツーマンで指導できたのには理由があった。
実はドリーは、鶴田が渡米する約1ヵ月前の2月27日、テキサス州アンバーガーにある父ドリー・ファンク・シニアの牧場から車で帰宅する途中、飛び出してきた数頭の牛をよけようとハンドルを切ったところで車が横転、右鎖骨を骨折して欠場を余儀なくされたのだ。
当時のドリーはNWA世界ヘビー級王者として全米のNWAのテリトリーを回っていたから、本来ならとても鶴田のコーチはできなかったが、5月まで大事を取って試合を休んでいたため、時間を取ることができたのである。
鶴田は同年10月に凱旋帰国する際に“ダブルアーム、サイド、フロント、ジャーマンの4種類のスープレックスを使う驚異の新人”として注目を浴びたが、ドリーは「その中で私がジャンボに教えたのはフロント、ダブルアーム、サイドの3つのスープレックスだ。当時、まだビデオはないから8ミリで撮影して、スローモーションで再生しながら力を入れて教えたことを憶えているよ」と語る。
鶴田は全日本プロレス入団直後の公開練習でもダブルアーム、サイドの2種類のスープレックスを使っていたし、アマリロでのデビュー戦もサイド・スープレックスで勝利しているが、ドリーは改めてプロレス技としてのスープレックスを教えたのである。
ドリーのダブルアーム・スープレックスは69年7月にNWA世界王者としてカナダ・アルバータ州カルガリーに遠征した際、ビル・ロビンソンと8日間連続で60分フルタイム・ドローの試合をやったことでコツを掴み、自分流にアレンジしてテキサス・ブロンコ・スープレックスと名付けたもので、これもきっちりと伝授した。
その他、ドリーが鶴田に伝授したアームドラッグ(当時はサイクロン・ホイップと呼ばれた)は、ジャック・ブリスコの得意技だった。
「ブリスコのアームドラッグは身体がマットと平行に浮いていて、まるで芸術品だった。ジャックはNWA世界王座を巡るライバルだったが、ジャックが弟のジェラルドとフロリダ州タンパで経営しているボディショップ(自動車整備工場)に行って“アームドラッグはどうやるんだ?”って聞いたら、気持ちよく教えてくれたよ(笑)。だから私がジャンボに伝授したアームドラッグはジャック・ブリスコ・スタイルなんだ」とドリーは笑う。
今のアームドラッグは相手の腕に自分の腕を引っ掛けて投げるメキシコのルチャ・リブレ式が主流になっていて、相手の腕を首に巻くようにして宙に身体を浮かせて投げるブリスコ・スタイルのアームドラッグの攻防をするのは全日本プロレスとプロレスリング・ノアの生え抜きの選手だけになってしまった。...