小佐野景浩によるベストセラー『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』(ワニブックス)を大幅に加筆して連載する新版『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。今回は「アマリロ修行時代」若き鶴田とスタン・ハンセンの青春物語。
偉大な先輩たちから学んだプロレスの掟
スタン・ハンセンと過ごした青春
偉大な先輩たちから学んだプロレスの掟
鶴田友美は1973年3月から9月までテキサス州のアマリロ・テリトリーで修行したが、興味深いのは同年10月6日の後楽園ホールにおける日本デビュー戦の相手となったムース・モロウスキーとは対戦よりもタッグを組んだ回数が多かったことだ。
5月16日のテキサス州アビリーンで初めて組んでドン&ジョニーのファーゴ・ブラザーズに勝ち、5月22日のテキサス州オデッサではニック・コザックを加えたトリオでファーゴ・ブラザーズ&ミスターⅩに快勝した。モロウスキーとコザックの2人のアマリロ・テリトリーの重鎮と組んだのは勉強になったに違いない。
6月10日のニューメキシコ州アルバカーキでネグロ&ハンク・ジェームス(ボボ・ブラジルの弟)、同月15日のアビリーンでジェリー&ニックのコザック・ブラザーズと対戦し(いずれも試合結果不明)、7月5日のアマリロでレス・ソントン&マック・クォーリー、7月10日のテキサス州オデッサでロード・アル・ヘイズ&クォーリーに勝っている。現存している記録では6回組んでいたことになる。
対戦はわずか2回。7月11日のテキサス州ラボックで引き分け、8月29日の同所における再戦で勝利し、1勝1分で勝ち越した。
8月29日のシングルは日本デビュー戦を想定してのものだったのだろう。
モロウスキーはかつて怪覆面ドクター・デスとして国際プロレスの常連で、70年10月8日の大阪府立体育会館でラッシャー木村と日本初の金網デスマッチをやって話題になったが、実際は職人肌の試合巧者。
カナダ・カルガリー、WWWF(現WWE)、AWAを経て71年1月からアマリロ・テリトリーに定着してサイクロン・ネグロやカール・フォン・スタイガー、ゴードン・ネルソン同様に若いレスラーたちの教育係的な役目も務めた。
この時期、ドリーの要請によって、時に対戦相手として、時にタッグパートナーとして試合を通じて鶴田を教育していたのである。
鶴田と同じ時期にアマリロで新人時代を過ごしたスタン・ハンセンは「カール・フォン・スタイガーとムース・モロウスキーはグレート・ティーチャーだった。彼らはメインイベンターだったが、たまに下の方のカードになった時にグリーンボーイの私にも試合をするチャンスがあって、それはとてもラッキーなことだった。
彼らは試合の中で、観客の前で、俺をしごきながらいろいろなことを教えてくれた。試合の中で“ああしろ、こうしろ”とたくさんアドバイスしてくれたが、それよりも肝心な“これだけは絶対にやるな!”ということも教えてくれて、それが非常に役に立った。それは暗黙のルール……つまり相手に怪我をさせてはいけないということを身体で教わった。...