いまだに根強いジャンボ鶴田最強説を検証する連載「新版・永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」。アメリカ修行時代を経て、後楽園ホールで日本デビュー。遂にプロレスラー「ジャンボ鶴田」が誕生する。

Index
・鶴田友美から“ジャンボ鶴田”へ
・鶴田抜擢の裏で去った選手たち

鶴田友美からジャンボ鶴田へ

 1973年3月23日、テキサス州アマリロでデビューし、アマリロ・テリトリーでトップグループ入りするまでに成長したトミー・ツルタこと鶴田友美の日本デビュー戦は同年10月6日、後楽園ホールにおける『創立一周年記念ジャイアント・シリーズ』開幕戦で行われた。

 いきなりセミファイナルに据えられ、ムース・モロウスキーとの30分1本勝負。誤魔化しがきかないシングルマッチである。

 モロウスキーはアマリロにおける鶴田の教育係的存在だったレスラー。

 対戦経験があれば、タッグを組んだこともあり、手の内も気心も知れている。

 馬場は「間違いのない相手」としてモロウスキーを鶴田の初戦に起用したのである。

 日本マット初お目見えの鶴田はアメリカンな雰囲気ではなく、白地に青い波、背中に鷹があしらわれた和装のガウンで登場した。

 実はこのガウンは馬場がエース候補と認めた選手だけに着用させる特別な物。

 3年後の76年11月13日には天龍源一郎がテキサス州ヘレフォードにおけるデビュー戦で着用したし、さらに10年後の86年11月1日には元大相撲横綱の輪島大士が七尾市総合体育館の日本デビュー戦で着用した由緒あるガウンなのだ。

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