いまだに根強いジャンボ鶴田最強説を検証する連載「新版・永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」。今回は2人の恩師とのエピソード。ジャイアント馬場、マシオ駒の薫陶を受け、鶴田はプロレスラーとしても、人間としても独り立ちの時を迎える。

Index
・馬場との師弟対決が実現!
・恩師マシオ駒の死

馬場との師弟対決が実現!

 力道山13回忌追悼、アメリカ建国200年、全日本プロレス創立3周年の記念と銘打って1975年暮れに開催された『全日本プロレス・オープン選手権』で「ファンが最も観たいカード」に挙げられたのが馬場vs鶴田の師弟対決である。

 同大会はファンの希望を反映したカードを優先的に組む大相撲のような形式での開催が決定。そこには従来の日本人vs外国人が基本という制約はなく、日本人対決が次々に実現した。その中の目玉が馬場vs鶴田だった。

 当時の鶴田はキャリア3年弱の24歳。並みのレスラーだったら、まだ前座の域を出ていないところだが、この年の2月5日にはテキサス州サンアントニオで馬場と組んでザ・ファンクスからインターナショナル・タッグ王座を奪取。誰もが全日本次期エース、馬場の後継者と認めていて、世代交代が期待された対決でもあった。

 2人は公式戦での一騎打ちに先立って、12月11日の日本武道館における『力道山13回忌追善大試合』のメインで馬場&ザ・デストロイヤーvsドリー・ファンク・ジュニア&鶴田という形で激突。

 試合は2-1で馬場組が勝利したが、鶴田がジャンピング・ニーパットをぶち込めば、馬場は16文キック、そして鶴田が馬場の145㎏の巨体をサイド・スープレックスで投げることに成功するなど、本番の一騎打ちに弾みをつけた。

 なお、オープン選手権の戦績だが、15日の仙台での一騎打ちまで馬場はバロン・フォン・ラシクとアブドーラ・ザ・ブッチャーに勝ち、ドリーに丸め込みで敗れ、ハーリー・レイスと30分時間切れ、ダスティ・ローデスと両者リングアウトの2勝1敗1分1両者リングアウトで5点。(あらゆる勝ち=2点、時間切れ引き分け=1点、あらゆる負け&両者リングアウト=0点)

 鶴田は“欧州の帝王”ホースト・ホフマンに勝ち、ディック・マードック、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者のヒロ・マツダ、マイティ井上と30分時間切れ、ラッシャー木村とは両者リングアウトの1勝3分1両者リングアウトの5点で馬場戦を迎えた。

 そして15日、仙台・宮城県スポーツセンターでの公式戦。試合は鶴田が若さに任せて躍動した。いきなりドロップキック、そしてロープに振って、今度はカウンターのドロップキックを炸裂させた。...