元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
今回はタイガー戸口とのライバル物語の顛末を綴る。
・65分の激闘も!奏でた名勝負数え唄
・マイナスに作用した戸口の全日本入団
65分の激闘も!奏でた名勝負数え唄
ジャイアント馬場からのオファーによって77年10月にNWAの激戦地ミッドアトランティック地区でのビジネスを終了して外国人選手契約で全日本プロレスに上がるようになった戸口正徳ことキム・ドクは、師匠・大木金太郎と韓国師弟コンビを再結成した。
同年11月にソウルで馬場&鶴田からインターナショナル・タッグ王座を再び奪取するも翌78年5月に奪回されてしまったが、このわずかな期間に大木とドクの力関係は逆転した。そして鶴田とのシングル名勝負数え唄が生まれた。
77年10月29日の黒磯市公会堂における初一騎打ちは60分3本勝負で行われ、1本目はドクがブレーンバスターで勝利、2本目は鶴田が回転エビ固めで返し、3本目はドクがチェーンを持ち出しての反則負け。
10ヵ月ぶりの全日本マットということでドクがヒールを意識したために反則裁定の試合になってしまったが、同日に行われた馬場と大木のアジア・ヘビー級戦をセミファイナルにして、鶴田vsドクがメインイベントに組まれたところが重要なポイントだ。馬場はそれだけ大きな期待をかけていたのである。
78年1月の『ジャイアント・シリーズ』では全28戦中4回もシングルマッチが組まれて、すべて両者リングアウトで決着つかず。3月25日の川崎市体育館における『第6回チャンピオン・カーニバル』公式戦は30分時間切れ引き分け。8・28高知県民館ではまたも両者リングアウトに。
そして9月13日の愛知県体育館における鶴田にドクが挑戦したUN戦でベストバウトが生まれる。60分3本勝負を戦い抜き、さらに5分の延長戦もドローになったのだ。
1本目は実に28分27秒の熱闘。ドクが秘密兵器キウイロールで鶴田からギブアップを奪った。キウイとはニュージーランドの国鳥で、飛べない鳥。ニュージーランド出身のエイブ・ヤコブス(日本ではアベ・ヤコブとして知られる)が得意にしていた足関節技だ。
ヤコブスはミッドアトランティック地区を主戦場にしていたベテラン・レスラーで、77年1~9月まで同地区でファイトしていたドクはそれを盗んだのである。...