元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
前回までお届けした連載第7章では、ライバルの台頭や、1977年クーデター騒動など、順調にエリート街道を進んできたジャンボ鶴田に吹いた「逆風」に焦点を当てた。
今回から始まる第8章では、逆境を乗り越え、全日本プロレスの真のエースへの階段を上り始める鶴田の雄姿をお届けする。
・ファンクスから力道山&ルー・テーズへの変貌
・鉄人から学んだバックドロップの極意
ファンクスから力道山&ルー・テーズへの変貌
「俺はプロレスの会社の社長になろうなんて気はまったくないんだよ。でもリングの中ではメインイベンターとして、しっかりと責任をもって試合をするから」
81年半ばに全日本プロレスのブッカー(現場責任者)になった佐藤昭雄にジャンボ鶴田はそう言った。佐藤を全日本改革のブッカーに据えた松根光雄社長新体制の全日本が目指したのは、ギャラの高い超一流外国人選手に頼らず、看板になる強い日本人選手を作って地方興行も入るようにすることだった。
つまり、日本テレビと松根社長が望んだのは、最終的に強い日本人が外国人選手をやっつけるという昔のスタイルである。
「看板になる強い日本人選手」は鶴田しかいない。そこで、日本テレビ&佐藤の鶴田改造計画は「善戦マン」のイメージを払拭することからスタートした。
82年6月8日、蔵前国技館でリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑んだ鶴田はイメージを一新した。それまではザ・ファンクス、テキサス州アマリロの匂いを感じさせる星のマークが入った赤とブルーのツートンのタイツ、赤あるいは青のシューズだったが、タイツもシューズも黒、さらに羽織るジャケットもシンプルな黒に変えた。
キャリア9年、31歳になった鶴田には、それまでの派手なタイツ、シューズ、コスチュームでは若過ぎるし、それによって試合も軽く見えるという佐藤、日本テレビの判断によるものだ。
言うまでもなく、黒は日本プロレスの開祖・力道山のテーマカラー。発案者の日本テレビの原章プロデューサーは「やはり全日本の大エースになるのにアマリロのイメージが強い星のタイツは駄目でしたね」と言う。
思えば日本テレビが馬場に全日本旗揚げを要請したのは「力道山から受け継いだ正統のプロレスを放映する」という小林與三次社長の信念によるものだった。...