元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

前回はインターナショナル・ヘビー級王座奪取の様子をお届けした。今回は日本人レスラー初の快挙AWA世界ヘビー級王座を獲得した当時の様子を綴る。AWA世界王者のニック・ボックウィンクルとの対戦の模様に加え、ニックとの対戦するまでの周囲の努力、ジャイアント馬場の様子、そして鶴田の決意など、関係者の証言とともにお届けする。

Index
・馬場ではなく鶴田を挑戦させた松根体制
・松根体制&日本テレビの悲願が形に

馬場ではなく鶴田を挑戦させた松根体制

 力道山からジャイアント馬場が受け継いだインターナショナル・ヘビー級王座を継承したことで、真のエースとしての道を歩み始めたジャンボ鶴田は、翌84年2月23日に日本人レスラー初の快挙をやってのける。AWA世界ヘビー級王座を奪取したのである。

 AWA(アメリカン・レスリング・アソシエーション)のルーツは1957年に遡る。同年6月14日、イリノイ州シカゴでNWA世界ヘビー級王者ルー・テーズにエドワード・カーペンティアが挑戦し、カーペンティアが2-1で勝利。しかしテーズが3本目の判定について「私の足がロープに掛かっていたにもかかわらずフォールを取られた」と主張。これが認められてテーズの防衛となり、これに反発したカーペンティア派のプロモーターたちがカーペンティアを世界王者として興行を行ったのがAWAの始まりとされている。

 その後、カーペンティアのベルトはガニア→ウィルバー・スナイダー→ガニア→ドクターXと移動し、60年2月26日、ネブラスカ州オマハでガニアがドクターXから王座を奪取すると、ガニアを支持するプロモーターたちは「NWA世界王者(当時の王者はパット・オコーナー)がガニアと3ヵ月以内に対戦しないと新団体を発足させる」と宣言。

 NWAが無視したため、ガニアを初代王者としてミネソタ州ミネアポリスを本拠地にシカゴ、オマハ、コロラド州デンバー、ウィスコンシン州ミルウォーキー、カナダ・マニトバ州ウィニペグをマーケットとするAWAが発足した。...