元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回は鶴田の結婚と、天龍源一郎とのコンビ結成。公私2人のパートナーとの関係に触れる。鶴田が語った夫人との馴れ初めとは?鶴田天竜のTTコンビの実力は?

Index
・鶴田が語ってくれたラブストーリー
・馬場とのBJ砲から天龍とのTTコンビに

鶴田が語ってくれたラブストーリー

 1984年5月16日に約3週間の第2次AWA遠征から帰国したジャンボ鶴田は、2日後の5月18日開幕の『グランド・チャンピオン・カーニバルⅡ』に参加して相変わらずのハードスケジュールをこなし、6月15日から久々に3週間のまとまったオフを取ることができた。

 せっかくの休みに申し訳なかったが、この年の5月10日に創刊したばかりの週刊ゴングの全日本プロレス担当記者だった私は、6月28日に鶴田を母校・中央大学駿河台校舎跡地に連れ出して写真撮影をさせてもらった。オフショットのグラビアを組むためだ。

 そして、もうひとつ目的があった。実は5月頃からマスコミ各社が鶴田の結婚をかぎつけてスクープを狙っていて、私も信頼すべき筋から「鶴田が今秋、結婚する」という情報を得ており、それを確認したかったのだ。

「えっ!? いやあ、確かにその通りなんだよ。でも、今は詳しいことは勘弁して。僕としては全マスコミに公平に発表したいし、相手もあることなんでね。ちゃんと小佐野君の顔は立てるから……」

 意外にあっさりと認めてくれたのでビックリしてしまったが、こう言われてしまっては記事にできない。ましてや週刊誌のスクープは無理。当時の週刊ゴングは毎週木曜日発売で、そうなると東京スポーツなどに掲載してもらう新聞広告は火曜日には入稿しなければならない。そこに「鶴田、結婚!」という見出しが入っていたら、そこから取材されてしまうから、スクープはあり得ないのである。

 あとでわかったことだが、私が鶴田に話を聞いたのは結納の4日後だった。...