元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
今回は鶴龍対決の隠れ名勝負は88年10・28横浜横浜文化体育館での一戦を貴重な写真と共に綴る。
鶴龍対決の条件は当事者と馬場の気持ちが一致した時
鶴龍対決第3章……天龍革命が勃発してからのジャンボ鶴田vs天龍源一郎の頂上対決は、2度目の対決から丸1年の1988年10月28日、横浜文化体育館(現・横浜BUNTAI)で実現した。
なぜ1年もの空白が生まれたかというと、スタン・ハンセンとブルーザー・ブロディが絡んだ三冠統一闘争、タッグ統一闘争というテーマが生まれたというのもあるが、何よりジャイアント馬場の「これは全日本プロレスが提供し得る最高のカード。ジャンボと天龍、そして俺の気持ちが一致しなければ実現しない」という考えがあったからだ。
「ファン投票によって夢のカードが実現する!」をキャッチフレーズにした89年8月29日の日本武道館ではタッグ部門で1位になった鶴田&ブロディvs天龍&ハンセンの夢のタッグ対決の実現が濃厚だったが、ブロディの急死によって同大会は急遽『ブロディ・メモリアルナイト』に変更された。
この大会で初代世界タッグ王者の鶴田&谷津嘉章の五輪コンビに天龍&阿修羅・原の龍原砲が挑戦。天龍が首固めで鶴田から初ピンフォールを奪っての王座奪取に成功したが、翌30日の大阪府立体育会館の再戦では鶴田がバックドロップ3連発で天龍をKOして王座奪回。
鶴田と天龍が一気にスパークしたことで10月28日の横浜文化体育館での鶴龍対決第3勝が決定したのである。...