『御堂関白記』』長保二年正月十日条(自筆本)陽明文庫蔵 (倉本一宏著『「御堂関白記」を読む』講談社学術文庫より)

 大河ドラマ「光る君へ」のヒットで注目を集める平安時代。意外に知らないことや思い違いに気付いた方も多いのではないでしょうか?

「書籍『平安貴族列伝』発売記念!著者・倉本一宏氏に聞く平安時代のリアル」に続き、「光る君へ」の時代考証を担当する倉本さんに、今回も学校では習わなかった、平安時代の奥深さを伺いました。

 話題の書籍『平安貴族列伝』のもととなる六国史や、藤原実資、藤原行成、藤原道長3人の日記について、倉本さんが専門とする「古記録学」や、大河ドラマファンなら気になる「時代考証」について、紹介します。

正史と日記、男性と女性の日記の違い

——先生は平安時代を知る手がかりとして六国史とともに、男性の貴族の日記を重要視されていると聞きましたが、それはなぜでしょうか?

 男性貴族の日記というのは古記録にあたるわけですが、上は天皇から下級貴族に至るまで、日々あったことをその日の夜か翌日の朝に書いたものといわれています。実際のところ、いつ書いたかは人によって違うと思うんですけどね。

 一方で六国史は、国家がつくるものですから、国家にとっての歴史になるわけです。先ほどから六国史を「正史」といっていますが、「正」とは事実としての「正しさ」ではなく、「正式」な歴史書という意味でこのように呼ばれているわけです。だから、『日本書紀』に神話が記されていたら、それがどれだけ荒唐無稽であっても疑ってはいけなかった。どう見ても矛盾がいっぱいあるんですけど、当時は決して疑ってはいけなかったんです。

 それに比べると個人の日記というのは、わりと好き勝手に書けます。もちろん、間違いは時々ありますけども、ウソは書かない。これが当時の男性と女性が書いた日記で違うところなんです。女性だから悪いというわけではなく、女性が書く文学作品の日記というのは、自分に都合よく、興味のあったことだけを書く。しかも毎日書くんじゃなくて、ある程度年月がたってから書いていることが多いんです。それに対して男性の日記は、ほぼ毎日書かれていて、間違いは時々あってもウソが書かれていないため、古代の実態を読み解くうえで超一級の史料だと思っています。

3人の日記が残るもうひとつの利点

——その日記の中でも、倉本先生が最重要視されている3人の男性貴族の日記について教えてください。

 3人の男性貴族の日記というのは、藤原実資の『小右記』(977~1040年)、藤原行成の『権記』(991~1026年)、藤原道長の『御堂関白記』(995~1021年)のことです。この3人はそれぞれかなり優れた貴族でありまして、それがほぼ同時期に日記を書いているわけです。はじまりと終わりはそれぞれ違うわけなんですが、中心になる時代、例えば一条天皇の時代は3人並んで書いています。

 それ以降も写本が今残っていなくとも、例えば『権記』なんかは後一条天皇の時代まで、逸文が残っています。ということは、摂関政治の最盛期といわれている10世紀末~11世紀初頭ぐらいまでの時期に起こった同じ出来事について、3人の男性貴族の日記で読み解くことができる。時代がもう少し下りますが、道長の嫡妻である源倫子の甥にあたる源経頼が書いた『左経記』という日記も残っていますので、時期によっては4つの日記から歴史を読み解けるわけです。

 これのなにがすごいかというと、ひとりが書いた日記には一面的なことしか書かれていませんが、同じ出来事について3人が別々に書いているということは、それぞれの立場によって、あるいは性格によって異なった視点から書かれているわけです。これらをすべて読み解くことができれば、ものごとが立体的にわかるようになるため、かなりすごい史料といえます。

 例えば鎌倉時代の『吾妻鏡』は、幕府というか、むしろ北条氏の都合によって書かれたものです。『平家物語』もありますが、あれはもう完全な文学作品ですから。つまり、鎌倉時代の史料でも信用できるものとなると、京都の貴族が書いた日記になります。ただし、京都の貴族は京都のことしか直接見聞していませんから、鎌倉で起こった出来事についてあまり日記を残していません。鎌倉の御家人はというと、日記を書くことはまずなかったので、当時の鎌倉で本当に何が起こっていたかは、実はそんなによくわかってないと思うんです。

 対して平安時代は、こうした日記がたくさん残っていることによって、どんな出来事があったのか詳細にわかります。そして日記には、セリフが書いてあったり、心情が書いてあったりします。そもそも日記には、正式には儀式や政務のやり方を詳しく書き記すんですが、やはり人間のやることですから、感情が高ぶったらそのまま書かれている。怒りとか喜びとか、あるいは誰がどうしゃべったとかがそのまま書かれています。

 日記には、天皇もよく出てきます。われわれは21世紀に生きていますが、首相が今日何をやったのか、どんなことを考えたのか。天皇が今日何をやっていて、どういう思いをもっていたかは全然わかりません。新聞に載っていることしかわからないんです。ところが1000年前の天皇とか摂政や関白は、何をしていて、どんな思いをもっていたかが、今でもわかる。そういう意味で、日記は古代の実態を読み解くことができる超一級の史料といえるわけです。

藤原道長と脳がシンクロする喜び

——倉本先生は、その3つの日記すべてを現代語に訳されているんですが、どんなきっかけからはじめられたのでしょうか?

 私の大学時代の師匠が、「歴史学者は文学作品なんて読んじゃだめだ、古記録を読まなきゃだめだ」と、ずっといっていたんです。文学はアマチュアが読むもので、古記録はプロが読むものだって。ただ、私はそれではマズいと思ったんで、師匠に反発していました。なんとか古記録を一般の人にも知らせるべきだと。

 ただ、研究者ではない人が古記録を読もうにも、内容が難しいのでどうやって読んでいいのかわからないし、それを解説してくれる本もない。原文には返り点とかもありませんからね。しかし、せめて書き下し文をデータベースにして公開して、同時に現代語訳を出版すれば、今は一般の方もとても高い知的レベルにあると思いますから、読んでくれる人が結構いるんじゃないかと思ったんです。

 そうした思いから、かなり大変な仕事でしたが、現代語訳をはじめることにしました。おもしろかったのは、何年もの間、毎日、朝から晩までほとんど同じ人のプライベートな日記と向きあっていると、その人と一体化してしまって人格まで似てくるんです。

 特に最初にやった『御堂関白記』は、藤原道長の自筆本の原本が残っています。それを見ながら訳していると、道長がなぜここで間違えたか、なぜこんなことを書いたのか、なぜここを消したのかとか、そういったことがだんだんわかってくるんです。そういうときは『徒然草』にある「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる」という一節と同じで、道長と脳がシンクロする感じがしてすごくうれしかったです。

 藤原行成の『権記』を訳していた頃は、ちょうど職場で執行部にいて、トップのすぐ下で要するに雑用をしていたんです。行成も道長のもとでこき使われていましたから、中間管理職の悲哀というか、大変さがよくわかって、もう他人事とは思えないくらいのシンクロがありました(笑)。

 最後に藤原実資の『小右記』の現代語訳を完成させましたが、正直、できるとは本当に思っていませんでした。なにしろ、当初は全8冊で完成すると思っていたんですが、訳しはじめてみたら16冊になることがわかってしまいまして……。執筆をはじめたとき、すでに50歳を過ぎていたので、1年に1冊出しても終わる頃には70歳を超えている計算になってしまい、これはマズいなと。そこでちょっと無理をして年に2冊出して8年間で完成させることにしたので、本当になんとか生きている間に完結できたという次第であります。

(編集協力・スノハラケンジ)

 

『平安貴族列伝』
著者:倉本一宏(歴史学者)
出版社:日本ビジネスプレス(SYNCHRONOUS BOOKS)
定価:1870円(税込)
発売日:2024年5月21日

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