元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回は新たなスターとして名乗りを上げた三沢光晴に焦点を当てる。タイガーマスクだった彼がそのマスクを試合中に脱いだ理由。そしてジャンボ鶴田との対決について。関係者の証言と貴重な写真から共に三沢光晴とジャンボ鶴田を紐解いていく。

演出か?それとも!?三沢がマスクを脱いだ真相は

5月14日の東京体育館でタイガーマスクを脱ぎ捨てた三沢光晴

 天龍源一郎離脱後の全日本プロレス初の大会となった1990年5月14日の東京体育館はメインイベントでジャイアント馬場が昏倒するというバッドエンドだった。会場の空気は重苦しく、大会の中盤には客席から「馬場さん、何とかしてくれー!」という声も上がった。

 そうした沈滞ムードの中で唯一の光明は、セミファイナル前のタッグマッチで川田利明と組んで谷津嘉章&サムソン冬木と対戦したタイガーマスクが試合の途中で自らマスクを脱ぎ捨てて、三沢光晴だということを明かしてトップ獲りを宣言したことだ。

「左膝の手術で休んだ時にタイガーマスクのキャラでやるには限界かなと思ったし、“無理して飛ばないでください”っていうファンレターも多くて、もうタイガーマスクにこだわらなくてもいいかなと思ったんだよ。やっぱり“いつかは三沢光晴で!”っていうのもあったしね。天龍さんが抜けたから?“チャンスだ!”とは思わないけど、やる気を起こさせてくれたよね。天龍さんもマスクを脱ぐことを勧めてくれていたしね。これはレスラーとしての三沢光晴への責任感。タイガーマスクにいつまでもおんぶされていては先がないからね」とは、当時の三沢の言葉である。...