元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回はジャンボ鶴田と三沢光晴の師弟物語。鶴田が三沢にかけた言葉とは? その2年後に全日本に入門して付け人を経て、師匠・鶴田を打倒する立場になった三沢の目にエースのジャンボ鶴田はどう映っていたのか――。

高校2年の三沢に鶴田がかけた言葉

若手時代、鶴田の付け人だった三沢(写真左)

 1990年5月26日、天龍源一郎離脱後初めての全日本プロレスの日本武道館大会(6月8日)のメインイベントがジャンボ鶴田vs三沢光晴と発表された後楽園ホール大会で三沢は神風を吹かせた。試合開始から7分、コーナーに待機していた鶴田の左側頭部にエルボーバットを見舞って昏倒させたのである。これで「ひょっとしたら、三沢が鶴田に勝つかも……」と、日本武道館への期待が俄然高まったのである。

 試合後、三沢は「俺を甘く見るから、ああいうことになるんだよ。鶴田さんは怒らせないと勝機が見えてこない。リングの上では親の仇のつもりで行く。いつまでも“お山の大将”でいたら危ないよ」と、厳しい言葉を発したが、三沢にとって鶴田は初めて付け人を務めた師匠的な存在だ。

 三沢が鶴田と初めて会ったのは、足利工業大学附属高等学校(現・足利大学附属高等学校)2年生の時の79年。当時の三沢はプロレスラーを目指してレスリング部に所属していたが、1日でも早くプロになりたくて高校の寮を抜け出し、当時は東京・六本木にあった全日本プロレスの事務所を訪ねて入門を直訴した。その時に事務所にいたのが馬場元子夫人、百田義浩、鶴田の3人だった。...