元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回は90年6・8日本武道館のジャンボ鶴田vs三沢光晴をリング内外から徹底検証。元付け人・三沢との対戦に鶴田本人や、ジャイアント馬場、渕正信は何を思ったのか?

鶴田の気持ちを察した馬場の苦悩

 いよいよ全日本の命運を握る6・8日本武道館決戦。鶴田を取り巻く状況は複雑だった。その3日前の6月5日、千葉公園体育館でテリー・ゴディのDDTに敗れて三冠ヘビー級王座から転落、丸腰で三沢戦を迎えたのだ。しかも超満員1万4800人で膨れ上がった日本武道館には〝新時代のヒーロー誕生!〟への期待感が充満しているである。

 もちろん、鶴龍対決の面影を求めて「強い鶴田でいてほしい!」というファンの声援も飛んでいたが、圧倒的に三沢コールが多い。

テレビ解説の馬場は「力の差は随分あると思うんですがね、三沢がどうやってそれをカバーしてやっていくのか」と、実力差を強調し、鶴田について聞かれると「やっぱり三沢には“頑張ってもらわなきゃいけない”というみんなの期待がありますからね、ジャンボはやりにくいとは思うんですけどね」とコメント。そこには「三沢に頑張ってもらいたいけれども、格を度外視したカードでジャンボのプライドを傷つけている」という馬場の苦悩が感じられた。

 実際、馬場は当初、このカードに乗り気ではなかった。当時、ブレーンだった週刊プロレスのターザン山本編集長は「馬場さん、せっかくタイガーマスクから三沢になったのだから、ここは思い切ってジャンボと三沢のシングルでどうですか?」と進言したが、馬場は「できるわけがないだろう。ジャンボの気持ちはどうなるんだ?」と却下したという。

 週刊ゴングの全日本担当記者だった私も「お前、何かいいアイデアはないか?」と聞かれて何かを提案すると「お前はレスラーの気持ちというものをわかってないなあ」と、よく否定されたものだ。

「昔の選手は“あの選手とはやりたくない”とかっていうのがいっぱいあったと思うけど、そこにファンが何を期待しているかを掴む感性というものが必要」という考え方のアントニオ猪木は実現不可能と思われるカードも選手の感情を度外視して提供したが、、馬場はレスラーの格、プライドを重んじる人だった。

 それでも最終的に鶴田vs三沢を天龍源一郎離脱後初の日本武道館のメインに据えたということは、馬場にも「もはや、これしかない!」という危機感があったのだ。

三沢の嬉し涙と鶴田の悔し涙

随所で強さを見せつけた鶴田だが

 試合は27歳の三沢がスピードと空間を利用したファイトで鶴田の意表を衝く形で必死に対抗した。天龍とは体格もスタイルも全然違うため、鶴龍対決のイメージをまったく引きずらないのがよかったかもしれない。...