元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回はかつての付け人・三沢光晴に敗れたあとのジャンボ鶴田の活躍、そして2人のレスラーの活躍が生んだ鶴田軍vs超世代軍という全日本プロレスの新たな戦いの図式について、当事者たちの言葉から紐解いていく。

鶴田の強さを際立たせた火の玉小僧

菊地毅の頑張りが鶴田の強さと凄さを際立たせた

 1990年6月8日、かつての付け人・三沢光晴に敗れたジャンボ鶴田は「まだ胸を貸しただけです。負けた気がしない。これで俺を制覇したと思ったら、まだまだ甘いよ。もっと三沢には大きくなってほしい。今後、三沢がスタン・ハンセンやテリー・ゴディとどれくらいできるかが問題だと思う」と、あくまでも余裕のコメントを出した。

 そして鬱憤をぶつけたのが6月30日の後楽園ホールにおける『ワンナイト・スペシャルin後楽園』だ。

 天龍源一郎離脱後の初シリーズとなった『スーパーパワー・シリーズ』終了後にはサムソン冬木、仲野信市、北原辰巳(現・光騎)、折原昌夫、練習生の山中鉄也、フリーとしてレギュラー参戦していた鶴見五郎が離脱し、またまた暗雲が立ち込めた全日本プロレスだったが、超満員札止めの2150人(主催者発表)が詰めかけて熱気ムンムン。

「あの後楽園のワンナイト・スペシャルは5試合しか組めなかったけど、お客さんは温かかったな。それから有り得ない大爆発が起こったもんね」と語っていたのは14年2月15日に心筋梗塞によって51歳の若さで急逝した仲田龍リングアナウンサーである。

 この日のメインは鶴田&ザ・グレート・カブキ&渕正信vs三沢&田上明&菊地毅。この試合で事実上の主役になったのは鶴田でも三沢でもなく、メイン初登場の菊地だった。...