元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

三沢光晴に敗北したジャンボ鶴田。しかしその敗北をきっかけに後に日本人レスラー最強説が飛び交う伝説のレスラーが覚醒し始める。

小橋が体感した鶴田という強大な壁

 ジャンボ鶴田が田上明とコンビを結成して鶴田、田上、渕正信の鶴田軍が生まれた1990年8月の『サマー・アクション・シリーズⅡ』第11戦の8月31日、大阪府立体育会館では鶴田vs小橋健太(現・建太)のシングルマッチが組まれた。

 まだデビュー1年にも満たない小橋に理想とするレスラーを聞いた時に「天龍さんと鶴田さんを足して2で割ったような選手になりたいです」と答えたことを記憶している。

「若い頃にそう答えたのは、鶴龍対決を目の当たりにして“人間的な闘志をリングに出している天龍さんと、スタミナのある鶴田さんをミックスしながら、自分のオリジナリティを出せる選手になれれば”って思ったんです」と小橋。天龍革命が勃発した頃に全日本に入門した小橋にとって鶴田と天龍はひとつの目標だったのだ。

 87年2月、20歳の誕生日を目前に京セラ株式会社を退職した小橋は、全日本の新人募集に応募したが「もう20歳という年齢で、格闘技の実績がないから」と、書類選考で落とされている。諦めきれず、通っていたジムの会長のツテで改めて全日本を紹介してもらい、同年5月26日の滋賀県立体育館でジャイアント馬場の面接を受けて入門を許された。

 この時、小橋は鶴田に初めて会った。...