元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。

本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。

今回はジャンボ鶴田が圧倒的な強さを見せつけた1991年4月の春の祭典『チャンピオン・カーニバル』と、その2日後に行われたの三沢光晴との三冠ヘビー級防衛戦を振り返る。防衛戦終了後、鶴田が語ったナンバー1への想いと、同世代へのエールとは?

11年ぶりの春の祭典を全勝で制覇

 1991年4月の春の祭典『チャンピオン・カーニバル』でジャンボ鶴田は恐ろしいまでの強さを見せた。カクタス・ジャック、田上明、ダニー・クロファット、川田利明、ジョニー・スミス、ダニー・スパイビーをいずれもバックドロップで仕留めてBリーグ公式戦6戦全勝で4月16日の愛知県体育館における優勝戦に駒を進めたのである。

 鶴田が春の祭典で優勝したのは、遡ること11年前の80年大会。ジャイアント馬場、テリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャーらを抑えて勝ち上がり、ディック・スレーターをジャーマン・スープレックスで下しての優勝は「ジャンボ時代到来!」と話題になった。

 久々の優勝戦を前に「あの時は、まだ星マークが入ったタイツを穿いていたよね。思えば29歳の時だから、ちょうど今の三沢みたいだったよ。アイドルから実力派に移ろうとしている時期だったなあ」と当時を振り返った鶴田も、すでに40歳を迎えた完全無欠のエース。

 ここで負けたら2日後の三沢光晴との三冠ヘビー級防衛戦の意義が薄れてしまうだけに「少しでも攻めておくと、あとで食ったとしても効き方が違う」と、ハンセンのウェスタン・ラリアットを封じ込むべく左腕に一点集中攻撃だ。

 10分過ぎ、鶴田は1・19松本で三冠王座を奪取したランニング・ネックブリーカー、さらにフライング・ボディシザーズ・ドロップでラッシュ。対してハンセンは早くもラリアットを爆発させた。

 普段はフィニッシュを確信するまで繰り出さない必殺技を早い段階で出してきたのはハンセンが焦っている証拠。ハンセンの心理状態を読んだ鶴田は、2発目のラリアットは巧みにダッキングしてサイドからクルリとスクールボーイで丸め込む。

 これをカウント2でクリアしたハンセンは作戦を変更。3発目のラリアットはロープに飛ばさずに至近距離から左腕をフルスイングしたが、これも鶴田は読んでいた。両腕でブロックすると、ステップバックしてロープの反動を使ったジャンピング・ニー! この不意を衝く一撃にハンセンは立つことができず、ジョー樋口レフェリーは3カウント。

「オー!」の雄叫びを連発した鶴田は11年ぶりに優勝トロフィーを抱くと「これがエースの証明ですよ」と最高の笑顔を見せた。

11年ぶりの春の祭典に全勝優勝

怪物的な強さで三沢に勝利!そして天龍、長州にエール

 それから48時間後、4月18日には日本武道館で三沢を迎え撃っての三冠防衛戦。23日前に40歳になった鶴田は28歳の元気いっぱいの三沢に大きく分厚い胸を突き出した。...