
元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩氏が、かつての取材資料や関係者へのインタビューをもとに、伝説のプロレスラー・ジャンボ鶴田の強さと権力に背を向けた人間像に踏み込んだ588頁にもおよぶ大作『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』。
本連載では、刊行以来大反響を呼んだこの1冊に、新たな取材、証言を盛り込み改めてジャンボ鶴田の人物像に迫る。
今回は名レスラーたちが語ったジャンボ鶴田の強さについて。川田利明に聞く「一番嫌だった鶴田の技」、三沢光晴が話す「対戦して感じた鶴田の凄さ」とは?
川田が語るフィジカル的最強論

ジャンボ鶴田がとてつもない強さを発揮した1991年。10月24日の横浜文化体育館では川田利明が鶴田の三冠ヘビー級王座に初挑戦。実は38度を超える熱を出していた川田は、無駄な動きを控えて、確実に鶴田を倒せる戦法に出なければならなかった。
川田はこの三冠挑戦用に開発したストレッチ・プラム、タイトルマッチ4日前の10・20七尾城山体育館における鶴田&田上明&渕正信vs川田&小橋健太(現・建太)&菊地毅の場外戦で鶴田を失神に追い込んだ胴締めスリーパー、キャメル・クラッチ式のスリーパー……と、前哨戦から使っていた絞め技で勝負に出たが、196㎝、127㎏の鶴田の巨体をコントロールするのにはやはり無理があった。
一度はバックドロップをカウント2でクリアしたものの、ラリアットの相打ちで吹っ飛ばされ、フライング・ボディシザーズ・ドロップを浴び、ドロップキックから「オーッ!」の雄叫びとともに爆発した急角度のバックドロップ固めを返すことはできなかった。
「よく他のレスラーが大事な時に熱出したりして“馬鹿じゃないの!”って思ってたら、普段、気をつけてる自分がそういう時に限って高熱出しちゃって(苦笑)。鶴田さんとの初めての三冠戦だったから、とにかく頑張るしかなかったよね。シリーズ中に1回、場外でのスリーパーで鶴田さんを失神させたよね。気が付いてからブチ切れられたんだけど(苦笑)、それがあったからいろんなバリエーションのスリーパーを使ったんだけどね。正直、どうやったって敵わないだろうなって感じだったよ。バックドロップの前のドロップキックだって凄かったもんね。あの体が飛ぶんだよ。それも物凄い瞬発力で飛ぶんだから。昔、鶴田さんのドロップキックで馬場さんだって顔をボッコリ蹴られてたもんね」(川田)...