連日ニュースを賑わせる大谷翔平。ひとたびバッターボックスに入れば、何かの記録を塗り替える――そんなイメージすらある。
野球にストイックであくなき向上心の塊。アスリート性は言わずもがなだが、その素顔、特にチームへの思いを語ることは少ない。
ではその素顔とは――?
総ページ848。「大谷翔平はやっぱりすごい。でもこれだけの人が彼を生かしたんだと思うと感動を覚えました(40代・男性)」など、大きな反響を呼んでいる栗山英樹氏の新刊『監督の財産』にある大谷翔平との「別れのエピソード」を紹介する。
メジャーにない日本プロ野球の長所
(『監督の財産』収録「7 集大成(2019~2021)」より。執筆は2024年)
「仲間」との別れについて書く時、もうひとつ印象深いのは翔平がアメリカに旅立った時のことだ。
その時も「らしさ」にあふれていた。
ドラフト1 位で指名をして、ファイターズに来てもらってから「5年以内にメジャーに行かせる」というのが私と、ファイターズと翔平との約束だった。
だからその間に、必ず二刀流で日本一になる。
チームの勝利のために二刀流をしていることを証明する。それはファンや多くの批評家に批判されていたからそれを見返すため、というのもあったけれど、何よりメジャーでもそれができますよ、と少しでもアピールする必要があったからだ。
あれだけの逸材を手元に置き、勝手に何かを決めつけてその「らしさ」を失わせてはいけない。だから本人がやりたい限り二刀流は絶対だし、それをファイターズにいる間に少しでも証明しなければいけなかった。
そして4年目に日本一になり、MVPも獲得した。約束の5年目を控え、本人にメジャー行きの思いを問うと「何を今さら」と言った感じで「行きますよ」と言った。
その後も、開幕直後に肉離れをするなどアクシデントがあって、こっちは「メジャーに行ける状態だろうか」「中途半端な気持ちになったら余計リスクだな」などと考えることは何度もあった。でも、いつだって杞憂で、答えは「行きます」。どんなことがあっても本人はいっさいブレなかった。
そうして2017年12月9日。ロサンゼルス・エンゼルスに入団することが決まる。
新年に入った1月28日、私たちは2018年のシーズンに向けてキャンプ地であるアメリカ・アリゾナ州のスコッツデールへと向かった。もちろん帯同しない翔平は日本に残り、二軍施設のある鎌ヶ谷でトレーニングを行いながら2週間後の渡米に備えていた。
私たちが2週間のキャンプを終えアメリカから日本に戻った時、入れ違いのように翔平はアメリカへ渡る──そうして日本に帰ってきた時、私たちは翔平からのメッセージを目にすることになる。
鎌ヶ谷にあるウエイトルームのホワイトボードに人気漫画『スラムダンク』の登場人物がびっしりと書いてあったのだ。聞くと、トレーニングをした後、時間を持て余してずっと絵を描いていたらしい。安西先生や仙道といった人気キャラはそれぞれ特徴を捉えていて、うまい。
その中にあった三井寿の号泣する絵には、一言、「お世話になりました」と書いてあり、その下には翔平のサインがしてあった。
戦ってきた「仲間」への言葉。翔平らしいな、と思って今も鎌ヶ谷には残してもらっている。
(『監督の財産』収録「7 集大成(2019~2021)」より。執筆は2024年)