貧困、奨学金、親子関係、病気、気質、自己責任論など様々な側面を原因として生きづらさを抱える人も多い現在。人生の問題を解決するヒントとして「哲学」が注目されている。
シンクロライブでは『親ガチャの哲学』『恋愛の哲学』など哲学に関する著書を多数出版している戸谷洋志さんに、なぜいま哲学が求められているのか、哲学を学ぶ効用ついて伺った。
今回はその中から、なぜ哲学を学ぶのか、そして哲学を学ぶ意義を紹介する。(全2回の1回目)
(本稿は動画「なぜ今、哲学ブーム?生きづらさの根源に哲学で迫る! 」を編集)
盗んだ薬で病人を助けることは“正しい選択”か?
突然ですが、ここで「ハインツのジレンマ」有名な倫理学の思考実験をしたいと思います。
薬を買うお金がないハインツは、他に頼る人もなく途方に暮れてしまいました。
ここでハインツが取れる選択肢は2つ。
ひとつは、奥さんのために薬局に強盗に入り、盗んだ薬を使って奥さんを助ける。もうひとつは、強盗はせずに死にゆく妻をただ見殺しにするという選択肢です。
もちろん強盗に入ることは犯罪なので、法律を破って奥さんを救うことになります。一方で、強盗をしないと薬が手に入らず、法を順守して、助けられる命を見捨てることになります。
もし、あなたがハインツだったら、どちらの選択肢を取りますか?
仮に、あなたが“功利主義”の立場だったとしましょう。
その場合、社会にとってより有益なルール、より人々を幸福にできるルールに従うべきだと考えるので、強盗をして裁判で罰せられることになっても、盗んだ薬でひとりの命を救うことの方が、道徳的に正しい判断だと言えます。
しかし、盗んだ薬でひとりの命を救えたとしても、法律を破る行為はいけないという立場の人もいます。たとえ罪を犯すことで人が幸福になる場合でも、社会が決めたルールは守らなくてはいけない。そういう人たちにとっては、奥さんが病気で死んでしまっても、強盗をしない方が道徳的に正しい判断です。
この思考実験は社会倫理を議論する時によく使われる例えです。そして、なぜ私がこのジレンマを紹介したかというと、みなさんと哲学を学ぶ“意味”や“効能”を考えたかったからです。
では、なぜ哲学を学ぶ必要があるのか、ここから一緒に考えていきましょう。
哲学を学ぶことは“思考のストレッチ”をするということ
誰にでも生きているなかで、「ハインツのジレンマ」のような、難しい選択を迫られる時がありますよね。「世の中の道徳規範としてはこちらが正しいが、こっちの方が多くの人を幸せにできるのではないか」みたいな。
そんな時に、哲学の考え方がひとつの指針になると思うんです。なにかのジレンマに直面したとしても、どちらが正しい判断なのか自分で決めることができる。それが哲学の“効用”のひとつなのではないでしょうか。
一方で、「ハインツのジレンマ」のような難しい選択に迫られることなく、日常生活をなに不自由なく楽しく過ごしている人もいます。そんな人たちにとって、哲学は意味のないことかと言われると、僕はそうでもないと思っています。
たとえば、戦争やパンデミックが発生すると、それまで当たり前だったことが通用しなくなり、社会規範や通念などが根底から覆されてしまうような、大きな“破局”に直面することがあります。
日常生活のなかでも、大切な人が交通事故などで突然亡くなったり、誰かと結婚をして子供が生まれたりすると、それまでの生き方が大きく変わってしまうことがありますよね。
こうした自分のなかの“常識”が覆された時、当たり前だったことを問い直すことができないと、破局が起きた後の世界を生き残ることができない。呆然とただ立ち尽くしていては、新しい環境で生きていけないと思います。
そんな事態に陥らないためにも、常識にとらわれない思考の柔軟さが必要です。僕はよく哲学のことを“思考のストレッチ”と表現していて、思考の柔軟性を高めていくことが、哲学の最大の効用だと考えています。
ちゃんとストレッチをしていない状態で、急に激しい運動をするとケガをしてしまうように、普段から思考を柔軟にしておかないと、大きな変化に直面した時に切り替えていくことができない。
だからこそ、普段から哲学書を読んでいて損はないんです。
トレーニングで身体の鍛える“筋トレ”のように、目に見えて自分が変わっていくことはありませんが、柔軟でしなやかな思考を手に入れることで、どんな困難に直面しても自分らしく生きることができる。
それが哲学を学ぶことの最大の意義なのではないでしょうか。(文・坂本遼佑)
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