遠藤航W杯レポート 1.揺れた脳とギブス(後編)

 アルゼンチンの優勝で幕を閉じたカタールワールドカップ。日本代表は戦前の予想を覆しグループステージを首位で突破するも、決勝トーナメントでクロアチア代表に敗れ目標としていた「ベスト8」には届かなかった。

グループステージ(結果と遠藤航の出場状況)

11月23日 vsドイツ(〇2対1)※先発フル出場
11月27日 vsコスタリカ(●1対0)※先発フル出場
12月3日 vsスペイン(〇2対1)※後半87分から出場

決勝トーナメント(結果と遠藤航の出場状況)

12月6日 vsクロアチア(△1対1 PK戦の末敗退)※先発フル出場

 遠藤航にとってこのビッグコンペティションはどんなものだったのか――。シンクロナス編集部が書く「遠藤航の22日」(前後編の全3回)。

W杯前、相手選手と頭がバッティングし脳しんとうで病院に運ばれた

前編『1-1「コスタリカ戦後の+2秒』はこちら

1-2 軽い口調

 遠藤航のカタールワールドカップまでの4年間は多くの人に勇気を与える。

 その時間はもっと語られていいし、参考にされていい。

 4年前。ピッチに立つことができないワールドカップ(ロシア大会)を経験し、ポジションが定まらない立場が続いた……。

 若き日の遠藤は突出した「何か」を認知されていたわけではなかった。自身も「結局、ポジション、どこ? ってよく聞かれました」というくらいである。

 Jリーグではそのほとんどをセンターバックで過ごし、浦和レッズの最終年には右サイドバックでもプレーしていた。ユーティリティと言えば聞こえがいいが、「Jリーグの中のいい選手」で終わる可能性もあった。

 そんな遠藤は、たった4年で「不動の日本代表MF」と言われるようになった。ワールドカップ前、ドイツ代表監督のハンジ・フリックは「ブンデスリーガで最高の守備的MFのひとり」と語っている。

 それだけではない。「1対1に強い」――「DUEL王」を代名詞とするまでに成長したのだ。    

 その評価は数字にも表れている。

 世界中のクラブ、代理人が参考にするといわれサッカー界でも影響力のあるサイトのひとつ「Transfermarkt」で発表される遠藤航の市場価格はロシアワールドカップ前で約2億円。それが、昨年の12月時点で約13億円と実に約600%アップした(現在は約8億5000万円)。

 若いほどその価値が高まる「市場価値」において、20代後半にむけてこれほど評価を上げる選手は多くない。

遠藤航の哲学を書いた新刊『DUEL』。発売、たちまち重版を果たした(詳細は写真をクリック)

 この成長を実現するまでの道のりは、11月に刊行された遠藤航の著書『DUEL 世界で勝つために「最適解」を探し続けろ』に詳しいのでぜひ手に取ってもらいたいのだが、欠かせなかった条件のひとつにワールドカップがあることは間違いない。

 次のワールドカップこそは――その明確な目標こそが遠藤の急成長の「道」を作り上げたのだ。

※  ※

 痛む頭。

 もよおす吐き気。

「今回は、ダメかな――」

 ベッドに横になりながら、遠藤はそんなことを考えていた。

 2022年11月8日。ヘルタ・ベルリン戦に先発出場し、好プレーを見せていた遠藤だったが、後半82分にアクシデントが襲う。

 自陣ペナルティエリア内でヘディングで、ヘルタの選手の頭が遅れ気味に入った。遠藤は空中で気を失い、ピッチに倒れこむ。自分で立つことができず、そのまま救急車で病院に運ばれた。

 ワールドカップイヤー。キャプテンとして2年目の大役を背負いスタートした今シーズン、遠藤のパフォーマンスはさすがの一言だった。

 なかなか勝利がついてこず、フラストレーションがたまるシーンも多かっただろう。それでも決して手を抜くことはなく、全試合に先発し献身的に戦い、走り、1対1に勝ち続けた。

 ワールドカップまで1カ月を切った中で、コンディション調整も計画通りに進んでいた。

「ワールドカップ仕様に、トレーニングのレベルも上げています。結構、しんどい。その分、リーグの試合はちょっと体が重いけど」

 冗談めかして笑うほど順調だったなかで訪れた不測の事態。

 ――クラブは「重度の脳震とうの疑いがある」と発表し、翌日にはW杯の出場を危ぶむニュースが流れた。

 実際、遠藤はW杯に出られないことを覚悟した。

「(出場が)どうなるかわからないというより、とにかく症状が出ていたんで。最初はまったく覚えていなかったですし、とくに頭痛と吐き気でW杯どころじゃないかな、と思っていました」

※  ※

 ようやく眠りにつき、目覚めた朝。頭は痛むものの、前日ほどの症状はない。ただ、楽観する気にはなれなかった。

 サッカーでしばしば起こる脳しんとうについては、各リーグはもちろんFIFA自体も選手保護の観点から「回復プロトコル」を発表している。それに従えば、試合はもちろんのこと、練習は限られ、最低でも1週間の経過を見る必要があった。

「初めてのことなので、この先どうなるかまったくわからない。W杯に出られなくても仕方がない。また4年後かな、って思っていたところはありますね」

 このとき遠藤は「仕方がない」を「しゃーないっす」と表現している。

 語感は重さを感じない。

 遠藤らしい表現なのだが、それは一方で「必要以上にショックを受けない」ための対処法でもある(と、筆者は思っている)。

 決して表には見せないが、カタールW杯にかける思いは強かったし、そこに合わせてすべてのトレーニング、自身の成長の道の歩を進めてきた。

 簡単に割り切れるものではない。

 でも、遠藤は意図的に割り切ろうとした。まどろっこしい表現になるが、「割り切ろう」と自身の脳に信号を送ろうとした、と言った方がいい。このときの「しゃーないっす」は、まさにその瞬間だった。

 ただ、思ったより経過は良かった。

 頭の痛みは残るものの、最大の不安だった吐き気はない。MRIなどの検査でも大きな異常は見て取れない。

 それでもスマホをずっと見ていると頭がぼーっとしたり、長い会話に疲れを感じるなど、それまでになかった症状も出ていた。

 だから自分自身では判断がつかなかった。無理かもしれないという思いを頭の片隅に置きつつ、できることをする。回復プロトコルに従って、淡々と、少しずつ体を動かした。

 当時、遠藤はこう言っている。

「まったくわからないので(笑)。ドクターがいいというのなら(W杯に行けるかな)、という感じですね」

 このときのことを遠藤は笑いながら振り返る。

「できるかな、間に合うかもな、という思いはあったんですけど、やっぱり何があるかわからないので。でも、周囲は『いや、間に合うでしょ』みたいな雰囲気で。あ、そうなの? ってちょっと戸惑った。なんか、もう絶対カタールに行く前提、みたいなかんじだったから(笑)」

 1週間後。カタールワールドカップに「GO」が出たとき、医者から言われた言葉があった。

「試合はできる。ただ、もう1回ぶつかったら10~20年後くらいに認知症になる可能性もある」

 それを聞いた遠藤は言った。

「10年はさすがに早いなー」

 いつもの重さを感じない口調で――。

※  ※

 予定より1日遅れでカタール入りした遠藤は、その1週間後にドイツ戦に先発。フル出場を果たし、ドイツ撃破の立役者となる。

 海外メディア(イギリスのSNSでデータを発表する「スカイ・スポーツ」)が発表した驚異のスタッツ(ドリブル成功率100%、地上デュエル9勝、タックル勝利4/4、そして空中戦の勝利2)は日本でも大きな話題となった。

 

「トレーニングに入ったとき、思ったより体が動かなくてちょっとびっくりしたけど、やるしかなかったんで。カタールに来たからには先発でフル出場するつもりで調整していたし、出たら100%を出し尽くそうと。勝てて良かったです」

 破顔する遠藤に不安の色はなかった。

 正直言うと、筆者を含めて近しい人の多くはみな同じことを思っていた。

「出場してほしいけど、してほしくない」

 紹介されたスタッツの「空中戦の勝利2」は、手放しで喜べるものではなく「不安」の方が大きかった。

 それでも、勝利という結果がその「不安」をかすませた。

 なのに――。

 コスタリカ戦に敗北し、遠藤は足を負傷することになる。

【次回「本当の思い」に続く】

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