侍ジャパンの監督・栗山英樹氏が退任した。
日本中が注目したワールドベースボールクラシックで激闘を演じた選手たち。その影にあった栗山氏の手腕は高く評価されている。
特に若手選手たちが「生きる場所」を見つける術は、確固たる信念のもとに作られていた。そのひとつが、「がんばらなきゃいけないとき」を見極めることだ。
栗山英樹の著書『稚心を去る』(ちしんをさる)より、その内容を紹介する。
がむしゃらにやれる時期は意外と短い
プロの世界に入ってくるような選手たちは、みんな才能豊かな者ばかりだが、入ったあとのことで言えば、本当にがむしゃらにやれる時期、一番伸びしろのある期間というのは意外と短い。
ようやく自分の居場所を見つけかけて、いよいよ結果を出さなきゃいけない時期にきている23歳の渡邉諒(編集部注:現・阪神タイガース)に、秋季キャンプのとき、そのことを伝えた。
「このオフ、本当に死ぬ気でやれよ。10年やれとは言わない。1、2年、本当に頑張らなきゃならないときが人にはある」
本人にどこまで伝わったかは、わからない。
だが、一つだけ言えることは、彼にとってはいまが本当にがむしゃらにやれる時期であり、一番伸びしろのある期間だということだ。
そして、繰り返しになるが、それは意外と短い。
このチャンスを逃すと、次はない。
楽なことや楽しいことは、人を育ててはくれない。それは、次に頑張るためのご褒美でしかないのだ。
人を育てるのは、やっぱり「艱難辛苦」。困難に出遭って、悩み、苦しむことで人は成長する。
ただ、それにも優るものがあるのかもしれないと思うことがあった。
あれは入団何年目だったか、クリスマスの夜、大谷翔平が一人でマシンを打ち続けていたことがあった。それを練習熱心のひと言で片付けるのは簡単だが、そこまで熱心になれるのにはやはり理由がある。
彼はいつ訪れるかわからない何かをつかむ瞬間、何かというのはコツと言い換えてもいいかもしれない、その瞬間に接する喜びを知っている。
野球がうまくなるコツというのは、自転車に乗るコツにも似ている。乗れないうちはまるで乗れる気がしないのだが、はじめてうまく乗れた瞬間、それまでとは別人のような自分と出会う。
あの感覚だ。
でも、それがいつつかめるのか、その瞬間がいつ訪れるのかは誰にもわからない。だからこそ、それを見つけに行くことはいつも楽しい。その価値観があるかないか、ただそれだけの差なのかもしれない。
人が遊んでいるときに、人よりうまくなるためにやっていると、必ずそこには気付きがある。
単純なようだけれど、これを教えるのが一番難しい。
伸びしろのある時期に話を戻すが、チームとしてはその時期の選手が一番面白い。「こいつ、どこまでいくんだろう」とか、ずっとワクワクしながら見ていられる。
大谷の場合、ファイターズにいた5年間がずっとそうだった。やっぱり、毎年面白かった。(『稚心を去る』(栗山英樹・著)より再編集)