一度も勝てなかったのはわずか5人!

 鶴田友美がテキサス州のアマリロ・テリトリー入りして2カ月半にも満たない6月3日、悲しい事故があった。身元引受人のドリー・ファンク・シニアが54歳の若さで急逝したのである。

 この日、シニアは自宅でレスラー仲間を招いてパーティを催していた。そこには鶴田もいた。

 余興のシュート・レスリング……いわゆる極めっこが始まり、シニアはレス・ソントンをフロント・フェースロックで落として御機嫌だったというが、その15分後に家の外に出ると「ハートアタック(心臓発作)になったかもしれないからテリーに言っておいてくれ。でも誰にも知られたくないから、他の人には言わないように」と、テリーの妻ヴィッキーに訴えたという。

 ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクはシニアを自宅から近いキャニオンの病院に連れて行ったが、そこでは対応できず、救急車でアマリロの病院へ。

 ドリーとテリーは「あと5分か10分で到着するから大丈夫だ」と励ましたが、シニアは「そこまでは持たない。俺はこのまま逝ってしまうから」と告げ、その車中で帰らぬ人となってしまった。

 去る8月23日に79歳で亡くなったテリーは生前、「人生で最も大切なものを失ってしまった。あの悲しみは一生乗り越えることはできないだろう」と、シニアの話になるといつも涙を流していたものだ。

 アマリロ・テリトリーの『ウェスタン・ステーツ・スポーツ・プロモーション』を引き継いだドリーは、馬場との信頼関係のもとで鶴田のことも継続して引き受けた。

 鶴田がアマリロ・テリトリーにいたのは、わずか半年だったが、ドリーはシニアの教え通りに様々なタイプのレスラーと対戦させて経験を積ませた。

 初期の頃はデビュー戦で勝っているエル・タピア、TVマッチ要員のマック・クォーリー、国際プロレスにワイルド・アンガスの名前で参加経験のあるイギリスのブラック・アンガス・キャンベル(日本ではワイルド・アンガス)、ジョニー・ファーゴらを相手に白星を重ねた。...