「がん」が判明した日、人生の残り時間を突きつけれられたときの思いとは――。
否が応でも向き合わなければならない「健康の壁」。ときには余命を宣告されるその壁に、私たちはどう向き合うべきか。
ゲーテWeb で1200万PVを超えるほどの反響を呼んでいる元官僚・岸博幸の連載では、そのヒントを提示してくれている。
連載をまとめ注目を集める岸氏の新刊、「余命10年。多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。」(幻冬舎)から、その一部を紹介する―(1回/全2回)
2023年1月20日、がんを告知された
2023年1月20日、僕はとある大学病院血液内科の診察室にいた。
そこで、のちに僕の主治医となる先生から、初対面の挨拶も早々にこんな言葉を告げられた。
「岸さんは多発性骨髄腫に罹患されています」
前年の夏頃から非常に疲れやすくなっていたのだが、ちょうど還暦を迎えたこともあり、当初は「年のせいだろう」と、あまり気にしていなかった。だけど、妻や知人からは「顔色が悪い」「顔が土気色だ」と言われるし、どうも様子がおかしい。
そんな時に知人から良い人間ドック専門クリニックがあると聞き、たまたまスケジュールが空いていた日程で、運よく予約がとれた。それで、約5年ぶりに人間ドックを受診したのだけど、初日の検査終了後、クリニックの院長に、すぐに血液内科の専門医を受診するようにと言われてしまった。血液検査で異常なレベルの数値が出て、血液疾患の疑いがあるとのことだった。
その場で、東京都内で評判の良い血液内科の病院の紹介状を書いてもらい、予約の電話を入れた。それがこの日、1月20日だった。ちなみに、クリニックの院長に紹介されたドクターは血液内科では有名な先生とのことだったので、予約をとれても1ヵ月先くらいかと思っていたが、わずか10日後、しかも、僕の予定も空いているこの日に予約がとれたのは、とてもラッキーだった。
もっとも、病院で告げられた病名は、ラッキーとは程遠いものだった。
多発性骨髄腫。
耳慣れない病名ではあったものの、骨髄腫という名称からがんの一種だろうと推測はできた。もちろん、それを聞いてかなりショックではあったが、同時に納得感みたいなものも心に去来した。「なんだ、疲れやすかったり顔色が悪いのは、年のせいじゃなくて病気だったからなのか」と、腑に落ちたのだ。
こう見えて僕は子供の頃から丈夫で、60歳になるまで、これといった大病をしたことがない。それどころか、ロッククライミングに40歳頃まで熱中していてハードなトレーニングを続けていたし、50歳頃からは、仕事で関わるようになった総合格闘技の影響でキックボクシングまで始めたので、体力に関しては、同年代の誰にも負けない自信があった。
だから、去年の夏頃から、地方でのテレビ出演や講演を終え、帰りの新幹線や飛行機に乗るや否や寝落ちしてしまったりと、それまでとは違う自分に対して、「年には勝てないのか」と感じていた。
テレビ出演や講演は、たとえ短時間でも、ものすごく集中力が必要である。だから、60歳になった自分が疲れてしまうのも当然のことかもしれない。そう思いつつも、戸惑いを抱いていたのだ。そんな時に、「年のせい」ではなく「病気のせい」だったことがわかり、なんだかすっきりしたのだ。
その5日後、あらためて骨髄穿せん刺し(骨髄穿刺針を用いて骨に穴をあけ
て、中の骨髄液を注射器で吸引する検査法。これが壮絶に痛い!) で骨髄を調べた結果、僕の病気は、多発性骨髄腫であることが確定した。
男性の罹患率は10万人に6.6人という「多発性骨髄腫」とは
ここで多発性骨髄腫という病気について、少し説明をしておこう。
多発性骨髄腫は、血液中に存在し、免疫を司っている形質細胞が悪性化する血液のがんの一種で、男性の罹患率は10万人に6.6人とされる珍しい疾患だ。初期には自覚症状がほとんど出ないため、血液検査などで見つかることが少なくないという。病状が進むと、腎臓の機能低下や貧血などが起こり、貧血が進行すると、動悸や息切れ、めまい、全身倦怠感などの症状が出てくるらしい。
また、骨髄腫細胞は、骨を壊す細胞を活性化するだけでなく、骨を再生する細胞の働きも抑えてしまうため、結果的に骨がもろくなり、骨折しやすいのだとか。
実際、僕は、この病気が発覚する前にスキーで派手に転んでしまい、以来ずっと胸の骨に激しい痛みを感じていたのだが、入院後の検査で骨にヒビが入っていることが判明。
今思えば、あの頃すでに多発性骨髄腫を発症していたのだろう。
主治医から、「出張の帰りに寝込んでしまうのは、ひどい貧血が起きていたからです」と説明された。自覚はまったくなかったものの、どうやら病状はすでに進行していたらしい。
ちなみに多発性骨髄腫は、治癒することが難しい疾患でもある。だから治療の目的は、完治ではなく病気との共存になるようだ。僕は一生この病気とつきあいながら、普通の生活を送ることを目指していく。
幸い現在はさまざまな治療法が確立されていて、主治医いわく、僕の年齢なら、そうした治療を施せば、あと10年や15年は大丈夫だろうとのことであった。動揺していたこともあり、あえてその言葉の意味を詰めなかったが、つまり短く見積もって余命10年〜15年ということなのだろう。
僕は、自分なりにそう理解した。
病名を告げられた時、僕は60歳だったから、残りの人生は70歳、長くても70代半ばくらいまでになる。
こんな風にして僕は、唐突に自分の人生の残り時間を突きつけられてしまったのだ。(後編に続く)
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