ロシアによるウクライナへの進攻、イスラエルによるガザ地区への空爆など、ここ数年、世界各地で軍事衝突が起こっている。
こういった紛争の多くには、民族問題が絡んでいる。だが、その本質を日本人はまったくわかっていない。紛争の時代。これからの世界の動きを捉えるうえで民族問題についての理解はかかせない。そのためのヒントが地理学にある。
代々木ゼミナールの人気地理講師である宮路秀作氏が、地理学的な視点から戦争について解説したコンテンツ(書籍『なぜ日本人は戦争音痴なのか』(シンクロナス新書))より、前編・後編の2回にわけてご紹介します。(後編)
出講している代々木ゼミナールでは、開講されている地理のすべての講座を担当、季節講習会ではオリジナル単科講座も開講している。担当する講座は全国の校舎、サテライン予備校に配信され、現代世界の「なぜ?」を解き明かす授業が好評。また高校教員向けに授業法を享受する「教員研修セミナー」の講師も長年勤めている。『経済は地理から学べ!』(ダイヤモンド社)は大ベストセラーとなり、台湾、韓国、中国でも翻訳された。地理学の普及・啓発活動に貢献したと評価され、2017年度日本地理学会賞(社会貢献部門)を受賞。またコラムニストとして、新聞や雑誌、Webメディアなどでの連載、「foomii」にてメルマガを発行、さらにYahoo!ニュースエキスパートのオーサーとしても活動している。YouTubeチャンネル「みやじまんちゃんねる」を開設し、地理学の面白さ、地理教育の重要性を説いている。著書に『現代世界は地理から学べ』(ソシム)、『現代史は地理から学べ』(SBクリエイティブ)、『経済は統計から学べ!』(ダイヤモンド社)、『ニュースがわかる!世界が見える!おもしろすぎる地理』 (大和書房)などがある。
言語境界は「紛争の火種」
日本国内には言語境界は存在しません。例えば共通テスト、すべて日本語というひとつの言語によって行われます。方言という差異はあるにせよ、日本国内には、基本的にはどこでも日本語が通じるという普遍性が存在します。
つまり、言語境界と国境がほぼ一致しているのが日本の大きな特徴の1つです。一方、世界を見渡せば、言語境界と国境が一致している地域はほとんどありません。
1つの国の中に言語境界があれば、すでにそこには「紛争の火種」が存在する、というのが世界の実情です。言語境界は、いわば「むき出しの導火線」です。
そうした感覚が日本人にはありません。意識する機会も方法もないので、世界の紛争を見た時、なぜあの人たちは喧嘩しているのだろう、どうして争っているのだろう、という感覚が先に立ちます。
つまり、他国で起きている戦争について日本人が理解できないのは仕方のないことなのだ、と言うこともできます。島国根性と言われればその通りでしょう。
ただし、多くの日本人が他国で起きている戦争を理解できないことのもうひとつの理由として、言葉の定義が曖昧である、というたいへん大きな問題があります。あの人はわかったような、わからないようなことを言う、という感覚を覚えることがあるのは、それは、その人の使う言葉の定義が曖昧だからです。
例えば、戦争に関する報道番組などで「地政学的リスクがある」という言い方が出てきます。そこで、地政学とはどういう意味で使っていますか、という質問を投げかけると、ほとんどの人は言葉に詰まります。
曖昧なまま、ふわっと言葉を使っているだけである場合が多いのです。日々、その場の空気に合わせて、わかったような、わからないような、そんな曖昧な言葉を使っているが日本人なのかもしれません。
言葉の定義が曖昧だから、セルビア人とは何者か、ということがわかりません。したがって、セルビアとコソボの間で何が争われているのかもわからないわけです。
簡単に口にすべきではない多文化共生
わが国はよく海外から宗教音痴、つまり宗教に関する知識と理解がないと言われますが、民族音痴でもあるわけです。ここはやはり、海外の人たちと日本人との違いとしてしっかり認識しておくべきでしょう。
つまり日本人は、民族紛争ないしそこから起こる戦争についての理解度については海外の人たちよりも劣っているのです。だからこそ、日本人は簡単に「多文化共生」という言葉を口にします。
多文化共生とは、総務省の定義によれば、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」です。
わが国には言語境界などなく、日本人は「紛争の火種」などない状況の中で暮らしています。そこで、多文化共生はたやすくできるものと勘違いをしている人がいます。
世界のほとんどの国には、それぞれの国の中に何かしらの境界が存在し、それを原因とした対立で苦労しています。
日本人は自らが置かれている状況を正確に把握して、言語境界のないことは利点でもあり同時にマイナス点でもあることを認識すべきでしょう。
そうした日本の地域性をしっかりと理解するなら、多文化共生といった、いわば世界の普遍性を安易にわが国に持ち込むことはできないはずです。
もちろん、普遍性と地域性の両立を考えることは大事なことではあるでしょう。しかし、最近、世界の普遍性ばかりを絶対的な価値観のように考え、日本の地域性を無視して世界の普遍性を持ってこようとする人たちが非常に多いという印象があります。
わが国は海洋国家です。外国人が歩いてやってくることはできません。わが国はよく、難民受け入れ数が少ないと国内外から批判されますが、経済的に困窮した難民というレベルの人たちが日本列島にやってくること自体、なかなか難しいことであると理解しておくべきです。
中央アメリカにニカラグアという、冷戦時代、アメリカ合衆国とソ連の代理戦争がずっと続いていた国があります。最近、ラテンアメリカでは反アメリカ的な動きがあり、ニカラグアもその例外ではありません。内戦が続き、治安がいいとは決して言えませんから隣の国へとわたる難民の数が多いわけですが、それはやはり陸続きであり、歩いていけるからこそといえます。
難民といわれる人たちは、船あるいは飛行機に乗ってわが国にやってきます。本当に難民なのか、工作員ではないのか、という懸念が生じるのは当然のことです。
かわいそうだから受け入れてあげようという気持ち、感情先行の姿勢は排除しなければいけないでしょう。多文化というものを理解できない人が多文化共生を実行しようとすれば、必ずどこかで破綻します。
日本と同じく島国と呼ばれる国にイギリスがあります。2020年初頭にEUから完全に離脱しました。
EUに加盟していたということは、ヨーロッパという比較的大きな地域において信じられている普遍的な価値観を受け入れていたということです。そして、「大いなる社会実験」を経て、やはりイギリスの地域性に合わないという判断が行われての離脱だったわけです。
日本がおよそ日本人だけでやってきたように、イギリスはほとんどアングロ・サクソンだけでやってきました。そこに、EUの普遍的価値観に則って、例えば大勢のポーランド人を移民として受け入れ、うまくやっていけるかということを考えた時にイギリスは、国民投票において、僅差ではあったものの「無理である」と判断したわけです。イギリスはわが国に先んじて、普遍性と地域性の矛盾に苦しんだ上で、今一度考え直すという経験をした国です。
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著者が自身の本について語ることで、読者が本を読んだ後、その本の魅力や知識を深められるコンテンツ「DOKUGO」。
今回語っていただくのは、「現代史は地理から学べ」(SBクリエイティブ)の著者であり、代々木ゼミナールのカリスマ講師である宮路秀作先生。
「なぜ今、地理学を学ぶべきなのか」、「地理学的視点で歴史を見るとは?」――
本をより深く理解できる詳しい解説や、この本の読者に伝えたいこと、読者がギモンに思うことの答えを著者自ら語ります。
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