24-25ブンデスリーガ第17節ドルトムント戦で公式戦7ゴール目となるゴールを決めたホルシュタイン・キールの町野修斗選手。

J1の湘南ベルマーレでの活躍し、カタールW杯日本代表、そしてその後の欧州挑戦と着実にステップアップしている印象をもつが、大阪の名門・履正社高校から横浜F・マリノス入団したものの、翌年には当時J3のギラヴァンツ北九州にレンタル移籍し、同チームの昇格によってJ3とJ2を経験している数少ないW杯戦士でもある。

そんな町野選手と日本代表FW・ブンデスリーガ日本人FWの先輩である岡崎慎司が対談。どんな幼少期を過ごしたのか、目標にしていた選手は?ドイツで奮闘する日本人FWの原点に迫る。

(本記事は岡崎慎司「Dialogue w/」で配信中の『【対談】「……プロにならない自分を想像したことがない」(町野修斗)「すごいな…」(岡崎慎司)』の一部を再編集した前編)

ブンデスリーガ第5節フランクフルト戦で2ゴールを決め、リーグ得点ランキング同率3位につけている町野選手。5年前までJ3でプレーしていた選手が...続きを読む

幼少期からの地道なトレーニング

—— 子どもの頃からサッカーには自信があったのでしょうか?

町野修斗(以下、町野):人の何十倍も練習しましたし、小学校のときから右足も左足も両方蹴れていたので、周りに比べて実力派抜けているなという感覚はありましたし、将来はプロになるんだろうなと感じながらサッカーをやっていました。

岡崎慎司(以下、岡崎):すごいな。

—— 岡崎さんはどうですか?

岡崎:俺はオファーがくるまでわからなかったし、小学生のころに将来プロになる自信はなかったですね。はプロになれるという自信はあんまりなかったな。お父さんがサッカーの練習を指導してくれることもあったの?

——ご両親は一緒にサッカーしてくれたり、指導してくれたりしていたんですか?

町野:父は指導者でした。利き足ではない左足が蹴れるようになったのも父から練習するように言われたからです。

 左足の練習初めは上手く左足で蹴ることができず、鏡の前で何度もフォームを確認しているうちに、右足と同じように蹴ったらボールが飛ぶことに気がついて。それから蹴れるようになりました。

 また小学校4年生ぐらいからは、もっとキック力がつくように、5号球のボールで練習していました。

——鏡の前でフォームを確認したり、5号球のボールで練習したりしていたのは、自分で考えてやっていたんですか?

町野:そうです。でも、最初は何度やってもボールが飛ばなくて、どうしても変な回転がかかっていたんです。

 なので、野球やゴルフの素振りみたいに、いいフォームが身につくまで、ただ蹴るだけの練習を繰り返していました。

岡崎:じゃあ地味なトレーニングだったんだね。でも、それを続けられる人は、意外と珍しいと思うよ。

町野:やっぱりサッカーが好きだので、ほぼ毎日ボールに触れていました。

C・ロナウドを目指し身長185㎝に

—— お父さんまの指導は厳しかったんですか?

町野:兄には厳しかったんです。僕は兄を見て学んだり、練習をしていたのであんまり厳しくされた覚えはないです。

岡崎:じゃあサッカー選手になるうえでお兄さんからの影響も大きかった?

町野:そうですね。最初はまず兄を超えるために頑張っていました。

岡崎:サッカーの才能だけでなく、身長の高さも家族ゆずりなの?

町野:僕は身長が185cmあるんですが、お父さんは170cmくらいだし、兄も161cmくらいしかないので、家族で高身長なのは自分だけです。

岡崎:すごいね、同じ家族でも結構な身長差があるんだね。

町野:学生時代は、クリスティアーノ・ロナウドが185cmだったので、絶対に185cmになりたいって思っていたんです。なので、できるだけ身長を伸ばしたくて、いっぱいご飯を食べて、よく寝るようにしていました。

岡崎:いま身長に悩んでいる子どもも「もしかしたら」と思えるね。

町野:身長を伸ばすために自分で出来ることはあると思います。

岡崎:夏休みの間に身長が伸びる子は多いと言われているけど、サッカーに打ち込んでいながら身長伸びたんだね。

町野:やりたいと思ってやっていたことなので、自分のなかで苦になることはなかったです。

岡崎:やらされるストレスはなかったってことだね。

町野:そうですね。トレーニングとも思っていなかったかもしれないです。

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日本サッカー、スポーツには世界に誇るべきポテンシャルがある。けれどそれはまだまだ世界に認められていない――岡崎慎司は欧州で13年目のプレーを迎え、その思いを強く持つ。胸を張って「日本サッカー」「日本のスポーツ」を誇るために必要なことは何か。岡崎は言う。
「新しいサッカーやスポーツの価値を探し、作っていくアクションが必要」。
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