皆さん、こんにちは。
いつもシンクロナスをご覧いただき、ありがとうございます。
9月より始まりました、編集部員による日替わりブログですが、10月3週目の本日、今野より5回目のブログをお届けします。
これまで社会人サッカー、ハンドボール国際親善試合、サッカーJ2リーグ、大学ラグビーの観戦体験について4回に渡って書いてきたスポーツ好きの今野ですが、今回は「国民の祝日」にふと思い巡らせたことについて記します。(本当のところ、体調不良につき観戦に出向くことが叶いませんでした涙)
本日10月15日の前日、10月14日は国民の祝日「スポーツの日」でした。出雲全日本大学選抜駅伝などスポーツイベントが各地で開催される日でもありますが、個人的には、このワードにまだまだ馴染み切れていないところがあります。
それもそのはず、2020年に「スポーツの日」として改称されるまで「体育の日」であり、1964年開催の東京オリンピック開会式が行われた10月10日に由来したものでした。この変更はどれだけの意味を持っているのでしょうか?
内閣府のサイトによると、「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う日」ということですが、「スポーツを観ることはあっても、プレーはちょっと…」という方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
私もスポーツに触れる機会は多かったものの、体育の授業や部活動など義務感のイメージは強く、真の意味でスポーツをプレーする楽しさに気づいたのは自主性の強い、大学のサークルや社会人のチームに参加するようになってからだと感じます。
個人的に「スポーツ=体育、学校の部活の苦しいイメージ」という連想は根が深い問題だと感じています。大塚雅美氏による「体育の歴史と役割」にある【体育とスポーツの主なイメージ分類例:大塚】によると、
【体育とスポーツの主なイメージ分類例:大塚】
・体育
(指導体制):指導者が単一、思想優先、学校での活動
(主な指導の方法):一方的な指導、指示どおりに動く、総合的な運動
(管理体制):指導者の管理
(受講者の反応):強制力を感じる、集団行動が身につく、苦手意識
・スポーツ
(指導体制):複数の指導者と受講者、勝敗・楽しむことが優先、課外活動が中心
(主な指導の方法):自立できるような指導、指示以外での動きを求める、単一種目運動
(管理体制):自己管理
(受講者の反応):達成感を感じる、個人能力を発揮、好き嫌いに分かれる
このようなイメージ分類例から考えるに、「体育の日」から「スポーツの日」への名称変更はポジティブな効果をもたらす可能性を持っているのかもしれません。
「体育」に対するネガティブなイメージは、明治政府が「富国強兵」のスローガンのもと学校教育を利用した等、歴史的な問題に起因しているとも言われ、それは日本だけではなくドイツでも同じようなこと起きていた…などなど話は尽きませんがそれはまたの機会に…。
近年は体罰が社会問題化し高圧的な体育・部活の指導が減少、部活指導者に対する負荷の過多問題に端を発した部活指導員、外部指導員の積極的採用など、部分的には「体育」の「スポーツ」化は進んでいると考えます。
「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会」の実現に、スポーツ経験のファーストステップである義務教育時代の「体育」が寄与することを願ってやみません。
編集今野