中世ヨーロッパ風の架空世界の経済活動に光を当て、狼の化身ホロと青年行商人ロレンスの旅を描いたライトノベル作品『狼と香辛料』シリーズ(著:支倉凍砂)。その奥深い世界観を、西洋史を専門とする研究者が読み解く!
仲田公輔
岡山大学 文学部/大学院社会文化科学学域 准教授。セント・アンドルーズ大学 歴史学部博士課程修了。PhD (History). 専門は、ビザンツ帝国史、とくにビザンツ帝国とコーカサスの関係史。1987年、静岡県川根町(現島田市)生まれ。
物語の始まりに現れる二つの中世要素
まずは『狼と香辛料』I巻の物語の始まりに注目してみたい。物語はロレンスが辺鄙な土地で毛皮を買い付けるところから始まる。ロレンスはそこからホロに出会うことになるパスロエの村へと移動していくのだが、その道中に二つの中世要素が現れる。
1つ目は道すがら目に入った修道院である。かつてロレンスはその「どこの貴族の子弟を取り込んだのかわからない(p. 17)」修道院を商売相手にしそびれたという。
2つ目は騎士である。ロレンスは道すがら、異教の祭りが行われると聞いて警備にあたっていた騎士に出会うが、その下級騎士を食べ物であっさりと籠絡してしまう。
なお、ここで登場する騎士は、赤い十字の印が鎧に描かれていたという。作者が意識していたという「北の十字軍」の主役である騎士修道会のうち、刀剣騎士修道会は赤い剣、ドイツ騎士修道会は黒い十字をシンボルにしていた。
修道院と騎士と言えば、そこが中世ヨーロッパであることが想起される要素であろう。ところが興味深いことに、修道院と有力者のコネクションが示唆されたり、下級騎士が小物ぶりを見せたりと、どこか妙に現実的な趣を感じさせる。いわゆる剣と魔法のテンプレート的中世ファンタジー世界を前提にしていると、現実に引き戻されるような思いがするかもしれない。
実際、作者の支倉凍砂氏は各所に、一般にヨーロッパ中世はこのようなイメージを持たれているかもしれないが、実はこうだったりする、という点を随所に挿入しているように思う。そしてそれらはただフレーバーテキストとして挿入されているだけでなく、物語の面白さに直結する役割を果たしていることもある。
『狼と香辛料』世界の政治権力
その代表の一つが、細分された政治権力である。...