渡部陽一「1000枚の戦場」79~82/1000
第20回のテーマは、アフリカ北東部に位置するスーダン。
世界最長のナイル川が流れ、アフリカの中で3番目に大きな国(日本のおよそ5倍の面積)で、軍とその傘下にあるはずの準軍事組織が激しく衝突しています。
なぜ、軍内部で衝突が起こったのか?
その背景を解説します。
こんにちは、戦場カメラマンの渡部陽一です。
秘密警察が多く、世界で最も取材が難しい国と言えるのがダルフール紛争中の2004年に訪れた北東アフリカのスーダンです。
スーダンは今年の4月中旬から事実上の内戦状態に陥り、日本を含む各国の政府が自国民をスーダンから退避させています。
今回の内戦は、「スーダン国軍」と、準軍事組織「RSF(即応支援部隊)」による軍部の衝突。
この内乱は、軍事政権の実権を握るブルハン将軍率いる国軍と、それに反旗を翻したダガロ司令官の民兵組織「即応支援部隊(RSF)」との間の権力闘争です。
4月半ばから続く戦闘は、停戦合意が交わされながらも、(5月11日時点で)続いています。
RSFのルーツは、かつての独裁者・バシール元大統領が保護していた第2の軍隊、アラブ系の民兵組織「ジャンジャウィード」。
「ジャンジャウィード」はアラビア語で「馬やラクダなどに乗って、攻撃する人たち」を意味します。
2003年に勃発した「世界最大の人道危機」とも言われたダルフール紛争は、
アラブ系のスーダン人と非アラブ系(アフリカ系)のスーダン人の衝突でした。
その時、バシール元大統領がジャンジャウィードを集結させて、反対派(非アラブ系)を弾圧。
ダルフール地域の定住している方々の地域に馬やラクダ、トラックなどの移動手段などを使って、地域の集落を次々と略奪していたのです。
写真の難民キャンプはダルフールの中心部にあるニャラという地域にある、
いくつもある難民キャンプの一つです。
写真を撮影したのはダルフール紛争真っ只中の2004年。
ジャンジャウィードの攻撃を受けて、家族を失った子供たち、高齢者がダルフールの難民キャンプに避難していたのです。
その後、2013年にジャンジャウィードは準軍事組織「RSF(即応支援部隊)」と名前を変え、事実上、当時のバシール大統領の傘下に入っていました。
2019年にバシール大統領が失脚し、民政移管に向かっていたのですが、2020年あたりからスーダン国軍が再び、強権体制にシフト。
そこで、RSFが…〈続きは動画で〉
本動画のPOINT
① 現在のスーダンの内戦は国軍VS準軍事組織「RSF(即応支援部隊)」の軍事衝突。
② 「RSF」は、かつての独裁者・バシール元大統領が保護した第2の軍隊。
③ ウクライナ戦争による小麦の高騰がダルフールの難民を苦しめている。
④ スーダンは「陸の孤島」と呼ばれる程、情報統制が厳しく、取材困難な地域。
【その他の写真】
・写真8/1000:人道回廊で蜂の巣にされた車
・写真12/1000:並ぶ戦車(ウクライナ)
・写真17/1000:溶けたロシア軍戦車
・写真19/1000:広大なひまわり畑
・写真23/1000:忘れられた孤島「スーダン」
・写真27/1000:タリバーンが力を再興させた「アフガニスタン」の今
・写真31/1000:新疆ウイグル自治区で暮らす人々
・写真35/1000:「トランプ・共和党」熱狂の背景を映した1枚
・写真39/1000:金日成・正日が示す威光
・写真46/1000:ウクライナの悲しみを表した赤と黒の旗を羽織る少年
・写真51/1000:頭にボールを乗せるイラクの少年
・写真55/1000:イラクの群衆
・写真61/1000:街中を監視するアフガニスタンの男性セキュリティ
・写真64/1000:燃やされたウクライナ北西部のアパート
・写真70/1000:シリア国旗のミサンガをつけた避難民
・写真74/1000:ポーランドとウクライナ・キーウを繋ぐ国際列車
・写真78/1000「首都キーウ中央駅のプラットホームで再会する家族」
👇毎配信をまとめて視聴は以下より👇 (今回の動画は2023年4月に撮影しました)
「戦場」の真実をどのくらいの人が理解しているか。戦場にある悲惨な現実。犠牲になるのは子どもたち。一方で、戦場にいる人々は「私たちと同じ」日常を持っている。これも「戦場の本当の姿」――。戦場カメラマン渡部陽一が撮ってきた写真の中から、1000枚をピックアップ。写真とともにその背景を知る。「戦場の真実」と「世界の本当」を学ぶ。
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